主のご降誕おめでとうございます

2019年12月25日

福島一基神父

 主の御降誕おめでとうございます。わたしたちのもとに贈られた、何よりも暖かく輝く幼子を見つめ、感謝をささげましょう。

 イエスさまもそうでしたが、どんな赤ちゃんも暖かく輝いているものです。子ども嫌いを公言して隠さないわたしでも、赤ちゃんは可愛いと思っています。大きくなれば噛みついてくる犬も、そこら中にうんちをまき散らす猫も、赤ちゃんの時は可愛いものです。そして目にするとなぜかほっこりします。そして応援したくなります。きっと自分の血を受け継いだいのちであればなおさらなのでしょう。小さないのちはわたしたちの希望なのです。

 しかし現代の日本において、そんなわたしたちの希望がないがしろにされている現実もあります。非常に悲しいことでもあります。いのちは神さまから与えられる恵みでもありますが、決してわたしたちのものではありません。人間の好き勝手に扱ってはならないものです。ただただ大切にしなければならないものです。なぜならわたしたちも同じようにかけがえのないものを与えられているからです。だから人間には唯一の価値があり、尊厳があるのです。比べられるものでもありません。

 しかしわたしたちが生きていくために、そんないのちが必要です。わたしたちはいのちを食べなければ元気になりません。また食べ物はいのちが宿っていなければ食べられません。新鮮で活き活きとした植物や魚や家畜は本当に美味しいものですが、腐って滅んでしまったものはおなかを壊すどころか、いのちに危険を与えます。わたしたちは自分のいのちのために他のいのちを必要としているのです。またわたしたちのいのちは様々ないのちによって支えられ、養われているのです。

 イエスさまが幼子の姿でこの世に来られたのは、もちろん人間として生きるためです。また人間にいのちを与えるためです。幼子と出会うわたしたちはそこに満たされているいのちの輝きを見ます。その輝きこそ、信仰、希望、愛なのです。この恵みは教会に与えられたものですが、いのちを与えられたすべての人間にも宿されたものなのかもしれません。すべての人のいのちが輝けるところに神の国は実現するからです。

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