ロザリオの月に寄せて
わたしの一日はロザリオの祈りで始めます。最近は加齢のせいで朝はかなり早く目が覚めてしまいますので、初めは時間つぶしに散歩を行うようになりました。コロナが始まってからは、人出のない時間にマスクを外して散歩できるのは気持ちがいいものです。ロザリオの祈りはそれまで夕方に行っていましたが、早朝散歩とともに行うようにしました。一環でおよそ30分。距離にして2〜3km。何よりも気持ちよく一日を始めるためにはなくてはならない習慣となっています。
ロザリオの祈りは、子どもの頃は日課となっていたのですが、成長とともに疎かになり、正直に言いますと司祭となってからもそれほど行っていませんでした。同じ祈りを何度も繰り返しながら時間をとられることに意味を見いだせなかったのでしょうか。また子どもの頃、祈りのために寸断される時間がトラウマのように思えていたのでしょうか。わたしにとっては億劫なものでしかなかったのです。それが今では生活の一部となっていることに不思議を感じます。それも義務としてではなく自ら進んで行っているのですから。
実は2011年の震災から、被災した方々のために何かをしなければという思いの中で、ロザリオの祈りを毎日行うこと自らに課しました。被災者がそれまでの時間を寸断されたようにわたしも日常の時間を寸断し、短い時間ではありますが、それをささげるためでもあります。また義援金などは一度行うと終わってしまうかのように感じられていたので、継続的に行えることとして始めたのです。もちろん今では東日本大震災だけではなく、その他多くの自然災害で被災した方々や困難にある方々のための意向も併せて行っていますが、今年からは特に平和のために一連余計におささげしています。もちろん散歩の距離も若干長くなりました。
10月がロザリオの月となったのは、その昔、戦争の最中にあった人々が平和を願い聖母マリアに取り次ぎを求め、ロザリオの祈りをささげたことが始まりであると言われています。
わたしたちにとって平和とは、ただ戦争がない世界を指すのではなく、キリストが始められた神の国が実現するところにあります。ロザリオを唱え、キリストと聖母の生涯を思い起こし、その模範のうちに自らとその生活を改め、神の国と平和の実現に協力していくことができるよう、今後もロザリオの祈りを続けていきたいと思っています。皆さんにもぜひお勧めします。