主の降誕おめでとうございます

2023年12月24日

福島一基神父

 主の降誕おめでとうございます。今年もクリスマスを迎えることができたことに感謝です。昨年「クリスマス」は「キリストの派遣」を意味するとお話ししたところでしたが、わたしたち教会はキリストの派遣を迎え入れた人の集まりであると言えます。幼子の小さなイエスさまを迎え入れ、ともに救いの道を歩むために教会に集うのです。

 この幼いイエスさまを迎え入れたところはベツレヘムという町ですが、泊まる場所がなかったので飼い葉桶に寝かされたと福音書には記されています(ルカ2:4〜7)。「飼い葉桶に寝かせた」という記述から、イエスさまは馬小屋で生まれたと考えられています。それでもロバや馬などの家畜を生活の中で利用していた当時は、街角や道端のあちこちに飼い葉桶が置かれていたそうです。ですからイエスさまは誰にも迎え入れられず、外の道端で生まれたのではないかという解釈もあるそうです。そうなりますと救い主であるイエスさまを誰も迎え入れなかったことになってしまいます。なんと申し訳ないことでしょうか。本来は感謝よりもまずゆるしを願わなければならないところです。

 マタイ福音書には「最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)とあります。それなのに最も小さいイエスさま自身を受け入れることすらできなかったこの世の中はクリスマスを祝う資格はありません。それを教訓に教会の暦は一年の始まりをクリスマスの準備の季節、待降節から始めるようになったのでしょうか。準備をしていなければせっかくの喜びを迎えることもできず台無しにしてしまいます。

 クリスマスの出来事がそうであったように、神の恵みはいつも小さいものから始まるのかもしれません。そういえばイエスさまのそんな教えを聖書はたくさん語っています。種を蒔く人のたとえから、からし種やパン種のたとえなどです(マタイ13他)。小さなものから大きな実りをもたらすのが、父である神さまの恵みの特徴のようです。それは小さなわたしたちに希望をもたらすものにもなります。

 最近老眼が進んできたのか、小さいものが見づらくなってきました。イエスさまを迎えるために小さいものを大切にしたいのですが、老眼ではなくてもわたしたちは小さいものを見落としがちです。ですから何でも迎え入れる心を強化しなくてはなりません。今年のクリスマスも、そして来年も様々な人が教会を訪れるでしょう。まだ日程は決まっていませんが千葉寺教会との統合も予定されています。「迎え入れる心」を養うことこそ、今のわたしたちには重要なことなのかもしれません。

 その模範はいつも聖母マリアにあります。天使のお告げに対してなされた「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)という返事こそ、わたしたちを代表して救い主を迎え入れた信じる者の姿です。今年のクリスマスはマリアさまとともに祈り、イエスさまを迎え、喜びを分かち合いましょう。

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