主の復活おめでとうございます

2025年4月24日

福島一基神父

 主の復活おめでとうございます。西千葉教会に着任して9回目の復活祭です。原稿提出期限を越えてもネタが出てこないので、以前作った文章を読み返していましたが、以前担当していた成城教会は八年過ごし、今までの中で最長不倒であるとありました。そうなりますと千葉での司牧期間はそれを超えたことになります。こんなことを書いていると、もう飽きてきて異動を希望しているのかと思われそうなのですが、ただただ神のわざを実感しているところなのです。何度も言いますけど、司祭の異動は、司祭の希望で決まるものではなく、教区長である司教様を通して神さまが決定するものです。そこいらの会社や役所などの人事と同じように考えるのはやめましょう。神さまの望みだからこそ、わたしたち司祭はそれに従順であるのです。そして皆さんとの出会いも、神さまの望みのうちにあるのです。

 そんな神さまの望みを求めて、わたしたち教会は歩みを進めているところですが、ここのところ望んでいないような出来事に遭遇している方も多いのではないかと思います。それはやはり九年という時間の重みなのでしょうか、皆一様に年齢を重ねる上で出てくる身体的な衰えです。若い若いと言われ続けているわたしも還暦間近の五十代後半です。仕事に関しては今までの経験を駆使してやり過ごすことはできても、身体的な無理は利かなくなりました。バイクを主な移動手段としていましたが、この冬は寒さに堪えられず、ほとんど車を利用してしまいました。ガソリン価格が高騰したというのに申し訳ないところです。お正月には何年かぶりに風邪で寝込んでしまい、せっかくの休暇を楽しむこともできませんでした。業務には影響はありませんでしたが、自らの衰えに甘えてしまいそうになりました。

 年齢にふさわしく行動することこそ、神さまの望みなのではないでしょうか。年齢も自分で決められるものではなく、神さまが与えるものです。それに従順にふさわしく行動することは、自らの人生をより豊かに生きることに繋がるはずです。アンチエイジングなどと歳を重ねることをマイナスに見る予防医学も存在していますが、衰えに抗わず、今の自分にしっかりと向き合っていくことが大切なようにも感じるところです。歳を重ねることは古びていくことではなく、古い自分、すなわち若かった自分にとどまることなく、新しい人となっていく挑戦であると考えます。実はこれこそ、わたしたちが信仰している復活という救いのわざなのです。

 「わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることです。」(2コリント5:16-18)

 キリストの復活は、衰えゆくわたしたちの希望です。キリストに結ばれて新たにされていくことができますように。

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