復活の喜び
復活徹夜祭が終わり閉祭の歌が歌い始まると、感極まります。一年に一度の長い典礼を無事に終えた達成感からなのか、もしくは長い間準備してこの日にたどり着いた受洗者の方々に思いを馳せるのか、四旬節を終え復活の喜びに満ちあふれるのか、なぜか声も出ないくらいに感動します。
祭壇の前に立ち、十字架のイエスさまを見上げながら特別な気持ちになるものです。じつは少し涙が出そうにもなるのです。皆さんには背を向けているので分からないと思いますが。
すべての人を救うために自ら十字架に上られたイエスさまは、世の中のすべての苦しみを体験なさいます。これこそイエスさまが人間となられたことの頂点となる出来事です。ただ人となっただけではなく、わたしたちの弱さや儚さのすべてを体験なさったのです。
それはこの弱さや儚さに苦しみ悩むすべての人間に共感するためです。わたしたちがどんな苦しみに、どのような悩みにうちひしがれているのか。自らその現実に身を置きます。そしてそこからどのようにして救いの道を歩むことができるのかを示されるのです。それは神への信仰と愛と希望を持ち続けることでした。
わたしたちもまたさまざまな苦しみや悩みの中で生活しています。なるべくそれを避けて平穏無事に過ごしたいと考えてはいますが、この世で生きているかぎりそこから逃れることができません。いい加減に手を抜いて適当にやり過ごせばいいと言われたりしますが、それが自分自身のことであったり、家族のことであったりすれば、どうしようもなく関わらざるをえません。
振り回され疲れ果てながらも、その苦しみや悩みが報われる瞬間を待ち望みます。キリストはそのような人々のために十字架に上がりました。そして自らが体験したように必ず復活する喜びと感動があることを示されたのです。
この喜びと感動は、苦しみや悩みを経験した人にしか実感できない特別な恵みなのです。その恵みは体験した人に大きな力を与えさらに豊かにしていきます。わたしが復活徹夜祭の閉祭において感極まるのはそんなところかもしれません。
新しい季節が始まります。自らの十字架を背負いわたしに従いなさいというキリストの呼びかけに、すべての人が信仰と希望と愛をもって応えていくことができるように祈ります。そして何よりもこの復活の喜びと感激を体験することができますように。