聖母被昇天を祝う

2016年8月1日

福島一基神父

カトリック西千葉教会の保護の聖人、被昇天の聖母の祭日に当たり、心よりお祝い申し上げます。

カトリック教会のほとんどの聖人の記念はその死んだ日、すなわち帰天した時にお祝いするものです。なぜならその生涯が完了した時にはじめて、その人生の真の意味を知ることができるからです。ですから聖人たちの人生が、信仰のすばらしさを示すしるしとなるのは、まさにその人生を完了した時だと言えるのです。

どんなに人から羨ましがられるような生活していても、最後に惨めな死に方をすれば、人生のすべてがむなしく感じることでしょう。またどんなに悲惨な生活を送ったとしても、神さまのもとに帰ることのできる希望のうちに死を迎えたのであれば、その人生に大きな意味をもたらします。

聖母の被昇天、8月15日はマリアさまの死を記念する日です。何歳でいつ頃亡くなったかは知られていませんが、その人生の歩みと死に際しての姿を見て、教会は間違いなく天に上げられたことを確信し、この日を古くから盛大にお祝いしてきたのです。

そしてカトリック教会におきましては、聖母の被昇天は信ずべき教えとして、1950年に教皇ピオ十二世によって荘厳に宣言されています。またそれとともに教会はマリアさまが無原罪の恵みに生きていたことを信じています。

しかし、そこまで大げさにしなくても、わたしたちはマリアさまが大好きですし、大切ですし、彼女の人生や死が示したことは、神さまの恵みのうちにあったことを素直に信じています。なぜならイエスさまのお母さんなのですし、イエスさまはわたしたちを兄弟姉妹だとおっしゃってくれましたから、マリアさまはわたしたちのお母さんなのです。

お母さんを拒絶する子どもはいるのでしょうか。生まれ出てはじめてお母さんを見てがっかりする子どもがいるのでしょうか。成長するにつれて、反抗したりする時もあるのかもしれません。でも人生のはじめに不安と苦しみの中で産声を上げたわたしたちは、お母さんに抱き寄せられ、優しさに包まれ、初めての安らぎを体験し、泣き止んだはずです。

もしそのまま放置されてしまったのであれば、生きているかどうかも分かりません。そんなお母さんは、大好きで大切にしなければなりませんし、また神さまから大いに祝福されてなければならない存在なのです。

ですからマリアさまが天に上げられたことも、原罪の汚れから免れていたことも、わたしたち人間の母親に対する強い思いが表されているのではないかと思います。もちろんその思いを父なる神さまは聞き入れ、わたしたちにマリアさまを与えてくださったに違いありません。父なる神さまへの感謝とともに、わたしたちが母なるマリアさまの模範のうちに、神さまの呼びかけに応え、また信頼をもって従い行動していくことができるよう、その取り次ぎを求めたいと思います。

まず西千葉教会のわたしたちが、マリアさまの悲しみではなく、喜びとなれますように。

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