御聖体

2019年7月1日

福島一基神父

御聖体の思い出をいくつか紹介します。まずは初聖体です。わたしは御聖体がいただけると喜びと緊張で身体も心もかちかちでした。ミサが始まると、一緒に初聖体を受ける子どもたちとロウソクに火をともして行列しました。聖堂に入ってすぐ行列が滞ったのでしょうか、緊張のあまりロウソクの火ばかりを見つめて歩いていたわたしは前に並んでいた友人にぶつかり、その拍子に友人の髪にロウソクの火が引火し燃え上がりました。

しかし誰かは分かりませんが、火をはたいて消してくれた大人がいました。友人は火傷をせずに済みましたが、このことが強烈でその後のことは全くといっていいほど覚えていません。もちろん今も大舞台で緊張し失敗する性質は変わりません。

もちろん聖体拝領で緊張したのは初聖体の時くらいで、その後は当たり間のように何気なく行っていました。でもある時普段どおりに拝領しようとしたら、神父様に「アーメンは!」と怒鳴られました。声が小さかったのでしょうか。少し大きな声で「アーメン」と言い返しました。

当時はまだ口で拝領するのが主流だったと思います。口を開けていると、今度は「舌!」とまたもや怒鳴られました。口を大きく開け、目一杯舌を出しました。すると神父様の後ろにいた侍者がクスクス笑うのです。なんとも言えない恥ずかしい思いをしました。それでも御聖体に対する姿勢を教えられた体験でもあります。

神学生となり初めて聖体奉仕者として授ける側になった時、そのときもまた初聖体の時のように緊張したことを覚えています。クリスマスの夜半のミサだったと思います。もちろんいつもよりも多くの人が集まっていました。聖体拝領が始まり少し経った時、隣で御聖体を授けていた神父様の祭服がいきなり燃え上がったのです。

もちろんわたしが素手ではたいて鎮火しました。祭壇前に飾っていた聖家族を囲むローソクの火が原因でした。祭服は化繊生地だったので燃えやすかったのでしょう。あとで確認してみたらわたしの侍者服も焦げていました。その時初聖体のことを思い出したのは言うまでもありません。

御聖体はイエスさまそのものです。わたしたちのためにすべてを献げてくださった姿が、このパンなのです。十字架の上で傷つき引き裂かれながらも、わたしたちと一つになることを望み、永遠のいのちを与えたいと願ったキリストの思いは、まさにわたしたちが御聖体を拝領した時に実現するのです。さらに聖霊も注がれ、新たないのちが吹き込まれるのです。

「キリストの御からだ」という呼びかけに、力強く「アーメン」と信仰告白することによって、必ずこの恵みが与えられるのです。


てくむ原稿締め切りの日の朝、ミサで受けた御聖体に強められ、キリストの聖体の祭日を前に尻に火がつき、ようやく書き上げることが出来ました。神に感謝。

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