聖母の被昇天

2021年8月15日

福島一基神父

  聖母の被昇天は、教会の母であるマリアさまの死を祈念する日です。マリアさまはその生涯の中で、イエスさまを聖霊によって授かり、それを受け入れて出産し、育て、また成人してからも母親としてその生活を支えられました。またイエスさまの死と復活、そして昇天の後、イエスさまが残された弟子たちの集まり、すなわち教会とともにあり、生涯を全うされたと言われています。マリアさまは教会の母として、教会のために配慮し、働きました。そんなマリアさまの葬儀は、きっと多くの信者に囲まれて盛大に執り行われたのではないでしょうか。

 コロナ禍ではありますが、教会の葬儀は感染対策を施しながら、いつもと変わらず行われます。最近気づいたのですが、帰天される方々の年代が、自分の両親とほとんど変わらないのです。残されたご家族もほぼわたしと同年代となってきました。葬儀ミサを司式しながら自分の両親の葬儀について、ある程度準備しておかなければならないと感じています。白井市に住んでいる両親は残念ながら未だ健在で、病院に通っているような話は聞いておりませんので、まだ先のことなのかもしれません。それでも必ず死はやってくるものです。できればわたしが千葉にいるうちに死んでくれると、近いのでありがたいのですが。

 不謹慎かもしれませんが、両親がどのように死んでいくのか、若干期待しているところです。できれば神父の親として、またカトリック信者としてあっぱれな最期を迎えてもらいたいものです。教会がマリアさまの死後、間違いなく天に昇られたと確信できたのは、やはりその生き方、そして死に方が物語っているのでしょう。もちろん大きな喪失感はあったものの、やはり教会の希望となる死であり、葬儀だったに違いありません。マリアさまと並べるのは大変失礼ですが、私の両親だけでなくすべてのキリスト者が、天国に行ったと確信できる死を迎えられるよう、マリアさまの取り次ぎを願います。

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