年間第25主日(2020.9.20)ミサ説教

2020年10月2日

福島一基神父

「生きる為に必要な恵みを神さまは与えて下さる」

 大分涼しくなってまいりましたね。時間の流れは神さまの業の表れだと、私は思うのです。時の流れは留まる事はありません。だからこそ、希望を持つことができるのです。

 今日の聖書の物語、モヤモヤしますね。お金がこの世の全てだと思っている人はイライラするのです。お金は確かに生活の為に必要ですが、お金が全てではありません。しかし世の中、効率よくお金を稼ぐことを考えていませんか?お金を価値あるものだと考え、自分の生活や活動に価値をつける為にお金をつぎ込んでいる。自分のしてきたことの価値は、どれだけ儲かったかという形になる。又、自分がどれだけ幸せに生きているか、それは、自分の家や服、食べ物、着ている物の高価さで、私達は見てしまいます。正直なところ、私達の測る秤は一般的にはお金なんだと思います。

 でも、今日のお話は神の国、天国の譬え話でした。天の国の為に働くという事は残念ながら時給で換算されないのですね。長く信者をやっていれば、100日間お祈りをしたから、たくさん教会に献金したから、天国に入れる、幸せになれる、神さまからたくさん愛される、と思わないで下さい。神さまの恵み・天の国、それは値段をつけられるようなものでは決してありません。私達は自分の中の秤で、神さまの恵みや愛を測ろうとしていたら、当然測りきれるものではありません。それ以上のものが、この世にあふれていることを忘れています。私達の命、この地球・この環境、そして今日の一日、お金で測れるものではない。そういうものは神さまなしには生きることはできない。それが神さまの愛の教え、恵みの表れでもある。こういったものを自分の小さな物差し・秤で測ろうとしても測れるものではありません。だから、今日の話を聞くとモヤモヤしてしまうのです。でも、神さまは私達の働きや行いを軽んじているわけではありません。

 1デナリオン、私達の日当と考えて下さい。一日に必要、生きる為に必要なものは、必ず神さまは与えて下さるが、一日の日当を私達が稼ぐためには神さまの大きな恵みが必要です。命がなければ、地球・環境がなければ、この一日がなければ、私達は1デナリオンさえも稼ぐことができません。だから私達の働きが神の恵みや愛に支えられていることを決して忘れてはいけないのです。どれだけ心を配って生きていくか、小さな働きでも心をこめて働くことに、神さまは豊かな恵みを与えて下さると思います。

 今日不平を言った人、ちょっと残念だなと思います。はじめに報酬をもらった人は、ちょっとしか働いていないのに一日分の日当をもらってラッキーと帰ったかもしれません。でも、得することばかりを考えていると、不当なことをされているわけではないのに、不当に見えてしまいます。一日しっかり働いて、しっかりもらえて「よし」と満足すればいいのです。自分の働きに応じた恵みをもらっていれば私達もラッキーなことに出会えるかもしれません。神さまはそのような方ではないでしょうか。でも、私達、文句を言う時、全てを与えて下さっている寛大な神さまの御心に、私達の心を寄せていかなければいけないと思います。

 今日も、たくさんの恵みを与えて下さる神さまに感謝して、この御ミサを捧げたいと思います。またこの1週間も私達に与えられた使命をしっかり生き、喜びのうちに、またここに集まることができるように、一緒にお祈りしましょう。

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