年間第16主日( 2020.7.19) ミサ説教
コロナウイルスの感染者がどんどん増えています。不安を感じます。神様は何を考えてこんな状況にしておられるのかと、少々疑問を感じてしまう方もいらっしゃるのではないかと思います。
コロナウイルスは、この世にとって、私たちにとって、今日の福音にある毒麦なのでしょうか?私たちにとっては、確かにこのコロナウイルスは毒麦のような存在です。私たちの命を脅かし行動を制限させます。思い通りに事を運べません。経済的な損失もはかり知れません。誰もが厳しい状況です。教会も活動を制限され、今も、少ない人数でこの9時半のミサをお捧げしています。
私たちを中心におくと確かにコロナウイルスは毒の麦です。でも、私たちではなく神さまを中心においたら、このコロナウイルスはどんな存在になるのでしょうか?この世の中はすべて神様がお創りになられたものです。神様によらずに成ったものは何一つない、と聖書にもあります。神様がよしとして存在させられたもの以外、この世にないはずなのに、なぜこの世には、神様の思いに反する悪が存在するのでしょう?
毒麦のような存在はこの世にたくさんあります。コロナウイルスだけではありません。自然災害、病気・事故・犯罪・暴力・戦争、人間の命に危害を及ぼすものは数多く存在します。歴史を振り返ってみても、毒麦のようなものが、私たちの、この世の中の生活に影響を与えていることを知ることができます。このような辛い厳しい経験を重ね、実は私たちの生活は豊かになっていきました。この毒麦のような出来事と向き合い、乗り越えて豊かになり、その中で私たちにとって大切なもの、大切にしなければならないものが明らかにされてきました。神様は私たちに不安、おびえさせる為に試練を与えているのではありません。私たちを豊かにし、そして真実へと向けさせる為に、色々な働きかけをなさっているということを、歴史を通して学ぶことができるのかと思います。
今の状態が早く終わってもらいたいと、私たちは考えてしまいます。私たちにとっての毒麦はそんなに長くは続きません。いつで終わると確約できませんが、真実なるもののみが世の中に残っていき、偽り・悪・私たちを破滅に導くものはどこかで消滅していくものです。それが私たちの希望です。天地創造の時から隠されていた真実、それが私たちにとって救いのことでもあります。
今の現実の中で、何よりも何が大切か、何が真実かを見極めなければいけません。この試練を乗り越えていく事が必ずできます。そのために必要な恵みを共に祈りたいと思います。誤ってよい麦を捨ててしまわないように、賢く、我慢強く、希望をもって過ごして参りたいと思います。コロナウイルスに感染しない、感染させない、3密を避けるとか、手を洗う、うがいをする、人と距離をとる、マスクをする等の人への配慮。小さなことでも、後に大きな恵みをもたらします。