復活祭メッセージ こんなときだからこそ
新型コロナウィルス感染症の影響で、公開のミサが行えない状況が一ヶ月続いています。もしかしたら復活祭も皆で集うことができないのでしょうか。それでも声を上げてお祝いしましょう。ご復活おめでとうございます。主の復活こそ、わたしたちのゆるぎない希望であり、信仰の源泉です。教会は歴史の中で幾度となく困難に遭遇してきましたが、どんな時も「主が復活し、今も生き、共にいてくださる」という希望と信仰こそ、それを乗り越える大きな力になってきました。こんなときだからこそ、この復活を喜び祝いましょう。
それでもこのメッセージを執筆している今現在(3月19日)、大勢人が集まるような場所の閉鎖、イベントなどの中止、多くの学校や企業は活動が休止する事態となっています。もちろん感染症を広めないためであり、またそれによっていのちを守るために行われているものです。「すべてのいのちを守るために」。昨年来日したフランシスコ教皇のテーマを思い出します。菊地大司教様が東京大司教区にある教会で行われる公開のミサを中止にした理由もそこにあります。韓国のある宗教団体でクラスター感染が発生したからではなく、また教会が感染源とならないためでもなく、何よりも「すべてのいのちを守るために」行った緊急措置です。しっかりとその意向を受け止めたいと思います。
これと同じく、キリストの受難と十字架の死も「すべてのいのちを守るため」のものであり、すべてのいのちを救いに導くためになされたことでした。そのためにささげられたキリストのいのちは、復活によってより豊かなものとなっていきます。それは今もいつも教会を通して続けられています。それではミサに参加できず、聖体拝領できないという皆さんのささげものは、どのような実りをもたらすことになるのでしょうか。必ずキリストの復活に結ばれることは間違いありません。 気休めを言いたいわけではありません。こんなときだからこそ、キリストの受難と死、そして復活を思い起こさなければならないと感じるのです。何もできないと限界を感じる今、十字架上のイエスさまのように、墓に納められたイエスさまのように、復活への大きな喜びを確信しすべてをゆだねましょう。ともに集まり喜びを分かち合える時に備えましょう。