教皇フランシスコによる聖性への招き
皆さんは「霊的読書」の習慣をお持ちでしょうか。霊的読書というのは、例えば、聖人伝、古代の教父、中世の神学者、あるいは「霊性の大家」と呼ばれる人たちの著作を読みながら、自分の信仰を育てていくことです。今回の巻頭言では、私の最近の霊的読書から、教皇フランシスコによる使徒的勧告『喜びに喜べ-現代世界における聖性-』をご紹介したいと思います。
私たちが、洗礼を受け、キリスト信者となり、毎週ミサに与っているのは、まさに聖性(=聖なる者になること)に招かれているからです。しかし「聖性」とはそもそも何でしょうか。教皇フランシスコは次のように説明しています(( )内の数字は項)。
『結局のところ聖性とは、キリストとの一致を通してそのかたのいのちの神秘を味わうことです。固有で自分らしいかたちで主の死と復活に自分を結びつけること、主とともに死と復活を何度も繰り返すことで成るものです。
ですがそれは、イエスの地上での生活にあったさまざまな側面を、自分自身の生活の中に再現させるという意味でもあります。(20)』
つまり「聖性」とは、自分の置かれた状況に従って、イエス様の死と復活に自分を結びつけること。もっと簡単に言えば、イエス様の生涯のさまざまな側面――例えば、ゆるし、いやし、愛、犠牲など――を自分の生活の中で再現することです。
ところで、聖性を実現するために、必ずしも司祭や修道者にならなくてもいいんだ、と教皇フランシスコは強調します。
『聖なる者となるのに、司教や、司祭、修道者になる必要はありません。わたしたちは聖性が、日常のもろもろから離れて、祈りに多くの時間を割くことのできる人だけのものだと思ってしまいがちです。
そうではありません。それぞれが置かれている場で、日常の雑務を通して、愛をもって生き、自分に固有のあかしを示すことで聖なる者となるよう、わたしたち皆が呼ばれているのです。
あなたは奉献生活に召し出されたのですか。喜びをもって自分の献身を生きることで、聖なる者となりなさい。
既婚者ですか。キリストが教会にされたように、あなたの夫、あなたの妻を愛し大切にすることで聖なる者となりなさい。
あなたは労働者ですか。兄弟姉妹に仕える自分の仕事を誠意と能力を尽くして果たすことで、聖なる者となりなさい。あなたは子や孫をもつ身ですか。イエスに従うことを幼い子どもに根気強く教えることで、聖なる者となりなさい。
あなたは権限ある立場の人ですか。共通善のために闘い、己の利益を顧みずに務めることで、聖なる者となりなさい。(14)』
つまり、聖人になるにはシンプルに、ただ親として、子として、夫として、妻として、あるいは独身者として、病人として、老人として、それぞれの立場でキリストの生涯を生きていくだけでいいわけです。この教皇様の言葉に励まされながら、自分の信仰を育てていきたいものです。