最近の3つ公文書から
カトリック教会は、神によって啓示された内容が、聖書と聖伝によって伝達され、教導職(=教皇と司教)を通して解釈されると教えています(『カトリック教会のカテキズム』74-100参照、以下『カテキズム』)。
簡単に言えば、カトリックの教えは、聖書・聖伝・教導職の3つをベースに成り立っている、ということです。ですから、カトリック信者として生きていくためには、もちろん福音書に示されたイエス様の生き方に倣うことが根本になければなりませんが、それに加えて、聖伝(教義、典礼、教会法、信心業、習慣など)と、その時代に応じて示される教導職による教え(教皇文書、教皇庁文書、司教文書など)にも関心をもつ必要があります。
聖書・聖伝・教導職に気を配ることによって、その時代・その地域に応じた信仰生活を送ることができるようになります。 さて、今回ご紹介したいのは最近発表された教導職に関する3つの公文書です。どれも私たち一人ひとりの信仰生活に直結する文書です。詳しくは、カトリック中央協議会や東京教区のHPをご覧ください。
1. 死刑に関する『カテキズム』の変更
カトリック教会は、これまで死刑容認の立場を取ってきました(『カテキズム』2267参照)。しかし、バチカン公式サイト8月2日付の発表によると、教皇フランシスコは、(1)重大な犯罪者にも人間の尊厳があるという理解の広まり、(2)刑罰に対する新しい理解の出現、(3)拘留システムの発展に伴い、市民の安全が確保されると同時に犯罪者が罪を償う可能性も確保できる、という観点から『カテキズム』の文言を「『死刑は認められません。
それは人間の不可侵性と尊厳への攻撃だからです』。さらに教会は全世界での死刑廃止のために決意をもって働きます」と改訂することを承認しました。私たちも、この方向性に沿って、わが国の死刑制度について考えていくことが求められています。
2. アメリカにおける司祭の児童性虐待問題
8月14日米ペンシルベニア州大陪審は、同州のカトリック教会で過去70年間、300人以上の司祭によって1,000人に及ぶ少年少女が性的虐待を受けていたという調査報告書を提出しました。これに対し、教皇フランシスコは8月20日付で「神の民への教皇フランシスコの書簡」を発表しました。
この書簡は「神の民」すなわちすべてのカトリック信者に向けられた書簡です。教皇はこの中で、そのような虐待が「犯罪行為」だと厳しく断罪し、被害者とその家族に謝罪しています。そして、事実上この問題を放置し続けたことを「恥と悔い改めの念をもって認める」と明言しています。その上で、この深刻な事態に対し「全世界で共同して取り組む必要がある」と述べています。
具体的には(1)犯罪者と隠蔽者に説明責任を果たさせ、制裁を加える、(2)信者一人ひとりが教会と社会を変革する自覚をもつ、ということを挙げています。また、教皇は、このような問題が繰り返される背景には「聖職者至上主義」があると指摘し、これに断固「ノー」の声を上げるよう、私たち一人ひとりに呼びかけています。
3. 菊地大司教の宣教司牧指針の方向性
菊地大司教は、5月20日付で教区の宣教司牧指針の方向性を記した「多様性における一致を掲げて」という文書を発表しました。西千葉教会は目下、新しい共同体作りを推進しておりますが、その指針となる重要な文書です。是非ご一読を。