私たちは成長していっていますか?

2024年3月3日

古市 匡史神父

私たちは、自分自身を見つめ直す「四旬節」を過ごしています。

さて、皆さん、日々祈り、聖書を学び、毎週ミサにあずかることで、少しずつ善い方向に成長していっていますか?何の変化も無いならば、深刻な状況です。救いにあずかる準備が、進んでいないからです。

人間は、愛そのものである神の似姿として作られ(創世記1:26-27)、「私よりもあなたが大切」を生きる存在です。ところが、アダムとエヴァは、悪魔の誘惑に乗り、「あなたよりも私が大切」、つまり、自分中心的な生き方を選び、人間のあるべき姿を歪めてしまいました。ですから、私たちが救われるためには、今一度、「私よりもあなたが大切」を生きる姿を取り戻していかなくてはなりません。そのために不可欠なのが、「徳」を培う努力です。

 「徳」とは、簡単に言うならば、「人間を神に似た者にする善い習慣」です。「習慣」ですから、一度では完成しません。毎日繰り返すことによって、身についていきます。徳には大きく分けて二種類あり、神の側から与えられる「対神徳」と、人間側の努力で形作っていく「枢要徳」とがあります。前者は、「信仰、希望、愛」であり、後者は、「賢明(状況を的確に判断し、正しい行動につなげる力)、正義(神と人に帰すべきものを帰す力)、勇気(困難に立ち向かい、また、耐える力)、節制(感情や欲求をコントロールする力)」です。そして、それぞれに属する様々な徳があります。徳について、ここで説明し尽くすことはできませんので、ぜひ『カトリック教会のカテキズム』を読んでみてください。日々の生活を、具体的に善く生きるためのヒントになります。

このことがわかれば、世間でだけでなく教会の中でもよく聞かれる「頑張らなくていいんだよ、そのままでいいんだよ。」という言葉が、いかに危険かがわかると思います。私たちが成長していくことを妨げるからです。救われたいならば、私たちは、人間本来の姿を取り戻していく努力を重ねないといけません。

そして、神から注がれる恵みは、私たちの努力を助けるためにこそ与えられています。ご聖体をいただいていれば、自動的にレベルアップしていくのではありません。人として善くなる努力をしないなら、恵みは、私たちの中で全く働くことができないのです。結果、どれだけ教会に行っていても、何も変わらないということになってしまいます。

神は、毎日の出来事を通して、私たちにサインを送ってくださっています。たとえば、急いでいる時に、目の前で赤信号に変わったらどう感じますか?イラっとするかもしれません。そうであれば、神は、「あなたには忍耐が欠けているから、忍耐の徳を養いなさい。」と教えてくださっているのです。

四旬節を機に、「徳」を育てていくことで「善く生きる」努力をする決心をしましょう。たとえ明日、死が訪れたとしても、後悔を残さない人生を全ういたしましょう。

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