11月『死者の月』に向けて
11月は、カトリック教会では死者のために祈る月です。この夏から初秋にかけて、西千葉教会でも千葉寺教会でも、そして、東京大司教区の司祭団においても、悲しいお別れが相次ぎました。キリスト教は、死を乗り越えて復活の希望を与えてくれる信仰です。とは言っても、やはり家族や友人・知人たちとの今際の別れは、辛いものです。この厳しい現実を克服していくのには、時間がかかります。葬儀でお話しさせていただくとき、少しでもご遺族の助けになればと、私はいつも次の二点に触れています。
(1)別れの痛みを大事する。
大切な人の死によって、私たちの心は引き裂かれ、押し潰されそうになります。しかし、この辛さを取り除く方法を教える宗教があるとすれば、それはニセモノの宗教だと思います。離別の痛みや苦しみこそ、大事にしなくてはなりません。なぜなら、召された相手が、私たちにとって、かけがえのない存在だったことのしるしであり、相手の存在価値を改めてわからせてくれる素晴らしいサインだからです。
(2)今できることをやる。
突然の死に接すると、「もっと一緒に過ごせばよかった」とか、「もっと優しくすればよかった」等、後悔が湧いてくると思います。あるいは、「理不尽だ」という怒りでいっぱいになるかもしれません。ですが、私たちが後悔で悩み続けたり、死の理不尽さに怒り続けたとしても、故人の救いには全く役立ちません。それよりも、私たちに残されている時間を無駄にせず、故人のために「今」できることを確実にすべきです。
まず、「故人に感謝すること」です。世界に約80億人が暮らしている中で、故人と出会うことができたのは、奇跡です。単純計算だけでも80億分の1の確率での出会いです。宝くじの一等に当たる確率が、1千万分の1と言われていますから、その800倍も難しいことなのです。また、故人が私たちの家族や友人であることが、お互いにとってベストだからこそ、神様が結びつけてくださったかけがえのない存在でもあります。そして、「故人のために祈ること」です。アメリカの心臓外科医であるRandolph Byrd博士は、祈りの力について実験しました。393人の心臓病患者を、無作為に二つのグループに分け、片方のグループには、祈ってくれる人々をあてがいました。患者本人にも病院のスタッフにもそのことは知らせていません。10ヶ月祈り続けた結果、祈ってもらった患者の方が、明らかに病状が軽いことが判明しました。科学的にも、祈りには力があると言えそうです。しかし、このことは、教会が昔から言って来たことであって、私たちが故人のために愛を込めて祈り続けることは、故人の救いに役立つものとなり得ます。
死者の月を迎えるにあたり、今一度、故人のことを思い起こし、その出会いに改めて感謝しつつ、故人が神のみもとで永遠の喜びのうちに憩うことができるよう、祈り続けましょう。