主のご復活、おめでとうございます!

2023年4月10日

古市 匡史神父

 私たちの死と復活について考えてみることは、今を善く生きることの大切さを気づかせてくれます。主のご復活を機に、少し見つめてみましょう。
まず、神は、人間を、魂と肉体の両方を持つ存在としてつくられました。ですから、どちらか一つあれば良いのではなく、両方がなければ人間として完全ではありません。
 私たちが死を迎えると、魂と体とが分離します。結果、肉体は崩れ去っていきます。これが「人間の死」です。一方、人間の魂は存在し続けます。再び体が与えられ、体と魂とが一つになるのが「復活」です。体と魂の両方があっての人間ですから、復活は必要なものなのです。私たちの復活が起こるのは、「世の終わり」です。世の終わりとは、世界が滅びる時ではなく、世界が完成する時であり、キリストが再臨し、私たちは復活します。
 死から復活に至るまで、人間は二回の審判(裁き)を経験します。一度目は、死の直後です。魂は神の前に立ち、生前、「何を成したか?」ではなく、「どれだけ愛を込めて生きてきたか?」が問われます。「私審判」と呼ばれるものです。そして、復活の時まで、魂は、天国、煉獄、地獄のいずれかの場所で待つことになります。
 二度目は、復活の直後です。「生前の行いが、世界が終わる最後の瞬間まで、世界にどのような影響を及ぼしてきたか」の総精算が行われます。人間は決して一人で生きていくのではなく、周囲との関わりの中で生きていくため、私たちが及ぼす影響が、自分と周囲の子孫にも伝播していくからです。例えば、もし誰かを罵るなら、罵られた側は傷つきます。その傷が元で周囲に辛辣になるようになれば、その人の家庭や周囲にも悪影響を与えます。さらに負の連鎖は、次の世代にも伝わっていく可能性があります。このように、私たちの行いは、世の終わりまで、なんらかの影響を世界に及ぼし続けます。愛の交わりを生きることで、命に開かれた世界を作っていくか、それとは逆の生き方で、健全な関係性が世界の中に生まれてくるのを絶っていくかのどちらかです。
 この最後の審判の後、私たちの永遠の住処が決まります。神と人々との永遠の愛の交わりの内に生きていくか(天国)、交わりを絶って永遠の孤独に生きていくか(地獄)です。神が裁くというよりも、私たちの生前の生き方が、自身の永遠の住処を選び、決めるのです。
 これらのことを理解すれば、まず、魂を磨くことの大切さがわかります。体は一度滅びますが、再び与えられる一方、魂は最初から最後まで存在し続けるからです。そして、愛を込めて生きることのとてつもない重要性がわかります。今の人生が、私たちの永遠の住まいを決めるからです。主の復活を祝うこの時期、生き方を見つめ直しながら、全力で愛を生きる決意をしましょう。人生は一度きり。後悔を残さないようにしましょう。

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