不平を言うより感謝する生き方へ
私たちは、これまで何回ミサにあずかり、何回キリストの体をいただいて来たでしょうか?そうすることで、少しでも善い人間に成長していっているでしょうか?おそらく、自信を持って「はい!」と言える人は少ないのではと思います。私自身がそうです。変化が少ないということは、何かが欠けているのだと考えていた矢先、決定的に欠けているものは、「感謝」する気持ちではないかと思うようになりました。
現代は、特に感謝することが難しい時代です。テレビや新聞、インターネットからは、ネガティブな情報ばかりが流れてきます。戦争、スキャンダル、不祥事、誰かへの批判や不満等々。このような環境にいると、否定的な視点からでしか物事を見ることができなくなっていきます。そうなると、人生はありがたいものではなく、呪いに変わってしまいます。
けれども、私たちは、毎日、周囲から善いものをいただいて、感謝すべきことがたくさんあるはずです。笑顔や挨拶、誰かからのありがとうや親切、発見や学び等々。『「感謝」の心理学』の著者、ロバート・エモンズ博士は、感謝の効能として、次のようなことを挙げています。感謝すると、気分が良くなるだけでなく、実際に善いことを行うようになります。感謝は、人間関係を整え、強化します。他者への共感を増し、人をゆるせるようになり、助ける気持ちを高めます。
聖書の中でもミサの中でも、何度も「賛美と感謝」という言葉が出てきます。どちらもヘブライ語の語源は同じです。いにしえのユダヤ人たちは、感謝の持つ素晴らしい力を理解していたからこそ、意識して感謝するよう、人々を促してきたのではないでしょうか。
また、ユダヤ教徒が常に大事にしてきたのは、「トダー」の祭儀です。病気や危険から助けられた時、神に子羊を捧げ、近しい人たちを招いて会食を開きます(民族全体としての「トダー」の祭儀が「過越祭」です)。「トダー」とは「感謝」のことです。私たちも、何か嬉しいことがあると、感謝の気持ちに溢れ、「聞いて!こんなことがあったんだよ!」と、喜びを身近な人たちと分かち合いたくなります。喜びと感謝は、周囲にも伝播し、人々を幸せにしていきます。
人間は、本来、このようなポジティブなやりとりの中で、より幸せに生きていくように造られているはずです。ご聖体の恵みをふさわしく受け取り、その恵みによって成長していけるよう、感謝する生き方に転換してまいりましょう。