人をゆるす生き方へ
年末になると、大掃除が始まります。私たちも、御子をお迎えするために、魂の掃除をしなくてはなりません。
毎日唱える「主の祈り」。この祈りには、神への願いがいくつか含まれていますが、その中で一つだけ、人間が行うべきこと入っています。「人をゆるす」ことです。「ゆるす」ことは、私たちが努力して取り組まねばならないことなのです。
ギリシア語の「ゆるす」は、「手放す」という意味です。過去にしがみついていると、人生を前進できなくなります。ですから、「手放す=ゆるす」必要があります。また、相手への怒りを持ち続けることは、心の中に刃物を持ち続けているのと同じで、私たち自身を傷つけ続けます。心臓疾患にもつながるのだそうです。では、「ゆるす」ためには、どうすればよいのでしょう?
まず、ゆるす「意志」を明確にしましょう。主の祈りでも、「私たちも人をゆるします」と表明します。これは、生き方を変えるという意思表示です。私たちは、自己中心的で、「自分にとって損か得か」でしか物事を判断しないため、損を被ることがゆるせません。しかし、人間本来の姿は、「私よりあなたが大切」です。自分が得しないと馬鹿を見ると思ってしまうかもしれませんが、その誘惑にアダムとエヴァが乗ってしまったために、どれほど人間性に傷がつき、恵みを失い、人類全体が不幸な状態に陥ってしまったことでしょう。「私よりあなたが大切」という生き方が、人間にとって本当に幸せな生き方なのです。
次に、「記憶の癒し」です。怒りの原因となっている出来事について、考えるのをやめましょう。苦々しい出来事は、何度も思い返しがちですが、傷を深くするだけです。また、思い返し続けることで、否定的なものの見方を自分の中に作り上げてしまいます。これでは、苦しみが増す一方です。そのためにも、怒りを喚起させるようなもの(テレビ、インターネット、写真等)も避けましょう。怒りの機会を避けるように生きるのも、一つの「徳」です。
同時に、イエズスに目を向けましょう。苦しみから逃れようとするだけでは、逆に苦しくなります。イエズスは、何の罪もないのに、私たちの身代わりとなって十字架の道を歩まれました。そして、彼の苦しみを通して、私たちは救われました。この事実は、苦しみには大切な意味と力があることを示しています。私たちもいわれもない害を受けるなら、その苦しみを主の苦しみに結びつけ、主の協力者としていただけたことを喜びましょう。
現代の私たちは、自分を見つめ過ぎています。自分にしがみつき過ぎているから、人生が苦しいのです。自分を見つめていても、己を変えることはできません。私たちを変えることができるのは、神だけです。ご自分のことよりも私たちを大切にしておられる神の愛にこそ目を注ぎ、私たちも自分よりも周囲の人々を大切にしながら、残された人生を過ごしてまいりましょう。