ロザリオの月

2024年10月13日

キムピルジュン神父

10月になって蒸し暑い夏が過ぎ去り、涼しい秋がやってきました。カトリック教会はこの10月を「ロザリオの月」として過ごします。

神の母、教会の母、私たち皆の母であるマリアの御心を、カトリック教会は「聖母マリアの汚れなき御心」と言います。その意味を調べてみると「この名称は聖母マリアの喜びや悲しみ、美徳や秘められてきた人間としての完全さ、そしてとりわけ処女性を持って神なる父を愛したこと、御子イエス・キリストへの母なる愛情、そして全人類を思いやる心といったマリアの内的生活を言い表すものとされてきた」と出て来ます。

つまりマリアも人間として私たちと同じように様々な出来事による多様な感情を感じ、嬉しい時もありましたが、大変な時も、苦しい時も、悲しい時もあったはずです。そしてイエス様の生涯に基づいて考えてみると、たぶんマリアには嬉しい時よりも辛い時が多かったと思います。

例えば、聖書に出て来るイエス様とマリアの間に起こった最初の出来事は「受胎告知」です。続いて少年イエスが一人で神殿に残ったエピソード、カナの婚礼でマリアが青年イエスにぶどう酒う頼んだエピソード、会衆を教えているイエスにマリアが訪れたエピソードがあります。またマリアは、十字架につけられて亡くなったイエスのそばにいました。つまりイエス様とマリアの間に起こった出来事はほとんど辛い出来事しかありませんでした。

したがって「人間としての完全さ」「おとめとして持っている神に対する愛」「息子に向かう母としての愛情」「全人類を思いやる心」ということは、一人の人が耐えるにはその一つ一つがとても大きなことです。それにもかかわらず、マリアは神様に対する強い信仰を通してすべてを乗り越えてきました。

それでは「マリアに関していちばん大事な聖書の言葉は何ですか?」と聞かれたら「それは、『母はこれらのことをすべて心に納めていた』という言葉です。」と答えることができます。また特にこのようなマリアのさらに素晴らしいところを教えてくれる言葉があります。「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」という言葉です。

すなわちマリアは イエス様と関することについて、その意味が分からなかったにもかかわらず、納得できなかったにもかかわらず、そのまま受け入れた、ということです。なぜならマリアはこれらの全てを神様の計画として信じていたからです。だからこそマリアの御心を一言でまとめると「完全な従順」と言えますし、ですから教会はマリアを「私たち皆の母」「信仰の模範」として敬っているのです。今月は「自分に納得しにくい出来事が起こった場合には、どのようにするのか」を深く考え、ロザリオの祈りを捧げることによってマリアのその信仰を記念し、倣う覚悟を固めながら、マリアについての次の言葉を私たちの心に刻みましょう。「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。」

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