カトリック信徒は,なぜマリア様を崇敬するのか
一部の非カトリック教徒は、カトリック教徒のマリア様への献身を批判し、十戒の第一の戒めに直接的に反するものとしてカトリック教徒を非難し続けています。
私たちカトリック教徒は、十字架や、マリア様の像を含むキリストと聖人たちの「像」に祈るのではなく、「像」が私たちに思い出させる聖なる人々に対して祈っています。これはカトリック教会の公式の教えです。私たちは彫像を崇拝していません。家族が遠く離れているときに写真を見るのと同じです。天国の私たちの最愛の家族を思い出させ、写真は触れることができるので、それを使用します。私たちは、遠く離れていても、そこに表現されている人も私たちを見てくれるだろうと考えて、像を見ています。
神は単なる偶像を作ることではなく、偶像崇拝という行為を禁じられました。ですから、神は「あなたは偶像に身をかがめたり、崇拝したりしてはならない」という言葉を加えられたのです。
言葉の意味、「崇拝」と「崇敬」の違いに注意する必要があります。教会は、神への畏敬の念と栄光がマリア様にも与えられ、マリア様も「崇拝」されるべきであると教えたことはありません。けれども、非常に特別な「崇敬」は別です。彼女はイエス・キリストと関係があります。彼女は人類の贖い(あがない)を成就することにおいてキリストとつながっています。彼女がいなければメシアは生まれなかったでしょう。人間の救いは成就されません。それが、彼女が特別に「崇敬」されるに値する大きな理由の一つです。
マリア様はイエスの母であり、イエスは神であるため、私たちはマリア様を神の母と呼びます。教会に常に存在していたマリア様への崇敬は、イエス・キリスト(そして父と聖霊)に与えられた崇拝とはまったく異なります。そして、マリア崇敬はイエス・キリストの崇拝を妨げるものではなく、逆にそれを奨励します。
なぜなら、母が尊敬されるとき、息子はよりよく知られ、愛され、栄光を与えられ、同時に、彼の戒めはよりよく満たされるからです。
イエスはマリア様を通して私たちのところに来ることを選びました。ですから、クリスチャンがイエスに到達する最良の方法はマリア様を通してです。「イエスに、マリア様を通して。」
祈る時、私はマリア様の顔を見つめました。彼女は「私を見つめてください」と言っているようで、私が彼女の顔、特に彼女の明るい目を見ると、彼女は私に彼女の最愛の息子の顔を見せてくれました。確かに、彼女は自分の息子の方へ顔を向けることで、私に彼女の息子を見せてくださったのです。
教皇フランシスコは、特にコロナ禍のような困難な日に、常にすべてのカトリック信徒がマリア様を崇敬するように勧めています。マリア様への心近さは神への近さなので、マリア様に近づくことを恐れないようにしましょう。