パンデミック時代の宣教
パンデミック、いわゆる、新型感染症は、「文化」「社会」が壊れやすい外観であることを示しています。この病気に対する恐れや不安は、それを制御しようとすることにすべての力を集中させてきました。パンデミックは経済に悪影響をもたらし、何世代にもわたって感じられると言われています。私たちは「以前の通常」の生活を取り戻すことが出来るか、それとも新しいパターンの生活様式になるのか?
小教区生活、そして私たちが公に信仰を実践する方法は影響を受けました。これはすべて、ミサに り、教会活動に参加し、秘跡を受け取り、祈りや信仰を分かち合うグループとして集まる事において、より献身的に活動する信者にとって悪影響を及ぼしました。
現時点では、全て人と人との間のスペースを制限することを意味する社会的距離の必要によってその活動も制限されますが、より多くの感染を悪化させる機会も制限します。その結果、状況は人間関係を制限するだけでなく、信者間の交わりという相互作用も制限してしまいます。
さらに、家にいてごミサをテレビでしか見ることが出来ない信徒たちと、どのようにつながりを持つことが出来るでしょうか?信徒たちは信仰によってまだイエスと個人的な出会いや関係を持つことができますが、これが小教区の共同体で育まれない場合、どのように健全な方法で成長することができるでしょう。
ある記者、ウェンデルという人によると、「私たちがもはや、何をすべきか分からなくなっているかもしれませんが、何をすべきかは次第に明らかになるでしょう」と話し、「現実を受け入れて自分のこころの声に聴き従うならば、正解への道が開けるのだ」と説きました。
それは確かに、私たちが実際に何も知らないことを受け入れて初めて、真の知識が始まりまると思います。この感染拡大を解決する方法がわからないことを自分自身で受け入れると、真の知識が明らかになります。
他の記者、ポンホッファーという方によると、神はパンデミックに関わりを持たないように見えますが、それどころか、それを見えない方法で、私たち人間が痛みを犠牲にしても以前の交わり、以前の人間関係を生き続けるのを助けています」と述べています。神の恵みによって、神は私たちにバンデミックによってもたらされた苦しみを埋めませんが、それどころか、むしろ人間である私たちが痛みを犠牲にしても、以前の交わり、以前の人間関係を生き続けるのを助けて下さっています。
このパンデミック時代、私たちが学ぶべきほかの重要な要因も明らかになりました。それは私たちの生き方をあらわにしたといえます。このバンデミックによって私たちは自分たちが縛られているものは何であるかを自問することが出来ようになりました。私たちの生活の中で本当に重要なことは何ですか?私たちが生き続ける理由は何ですか?このコロナが私たちにもたらしたのは、「全世界を手に入れ、命を失うことは、人に何の利益をもたらすのか」というイエスの言葉を思い起こさせることです。
私たちは福音の使命を全うするために新しくクリエイティブな方法を見つけました。インターネットを使って良い「たより」を広め、連絡を取り合うなど、自分たちが持っている能力や才能を使って、自分の信仰や他者の信仰を生かし続ける責任もあるでしょう。私たちは、教会のグループの方々が事実上リモートで一緒に学し、携帯電話で接続し対面することもできました。このパンデミックがもたらしたのは私たちにとっての希望です。この希望のポイントは、パンデミックによって、人間と人間とのつながり、共同体の絆、教会の活動、家族間の関係、そして神の必要性が改めて私たちに認識されたことです。