主のご降誕おめでとうございます
今年もクリスマスを迎えました。クリスマスは、キリストのミサ、すなわちキリストがこの世に派遣されたことを意味する言葉です。神のひとり子が幼子の姿でこの世に派遣された物語は、皆さんもよくご存じでしょう。そこには豊かな恵みが溢れています。それでも、その恵みはわたしたちが考える豊かさとは真逆です。
救い主はまず落ちぶれたダビデの町ベトレヘムに派遣されます。そして人が住むところではなく家畜小屋にその姿を表します。それはこの世の闇と貧しさに光を当てているかのようです。まったく恵みから除外されたような場所に、救いの光を灯します。その光は決してきらびやかではありませんが、わたしたちの心を温かく包み込みます。どんな人も除外することもありません。幼子を拒絶するものはないはずです。もし拒絶するならば、神の恵みと自分自身を見失っている状態なのでしょう。それでもこの幼子はそのような人にも微笑みかけます。そして神の恵みといのちを取り戻していくのです。
キリストはわたしたちの救いのために派遣されました。救いとは何でしょうか。幼子を直視して黙想しましょう。豊かな富を持つことなのでしょうか。揺るがない権力を手にすることなのでしょうか。また固い殻に閉じこもりそれらを守るために頑なになることなのでしょうか。周りと争い自分たちの主張を貫くことなのでしょうか。今一度幼子の姿に目を向けましょう。わたしたちの救いがそこにあるのです。
パンデミックで脅かされた毎日を過ごしてきたわたしたちに、幼子のキリストは生きることのすばらしさを全身全霊で伝えています。不安に疲れたわたしたちに、安らぎと平和を与えてくれます。今年も皆で集まることも、聖歌も歌えないクリスマスではありますが、この日を迎えることができたことに感謝をささげたいと思います。何よりも神さまによって創造されたすべてのいのちが大切にされること、愛されることを願いながら祈りをささげます。