トップ >  信者の方 >  プチ・フォワイエ > 

神学生便り「小道を歩けば」 ~信じる勇気~

プチ・フォワイエ

神学生便り「小道を歩けば」
~信じる勇気~
カトリック東京神学院 倉田 厚

 

 お久しぶりです。夏に浮かれていたと思っていたら、もう秋も本番です。またもや穴を開けてしまいましたこと、お詫びします。

 先月書こうと思っていたことがあります。そう三島新司祭の叙階。

 わたしが教会に行き始めた頃から、リーダー達の幼なじみが神父になろうと勉強をしているのだと聞かされていました。すごいなぁ、若いのに偉いなぁと思っていたのです。(が、まさか自分がこんな所にいるとは思いもしませんでした…。) 司祭は、叙階という秘蹟によって働くのだ。このことを耳にたこができるほど聞かされていますが、実際に目の前で、一人の人間が、祭壇の前に伏している姿、司教と司祭団から按手されている姿、そして祈りの内にキリストの家族に支えられている現実を見ること。これ以上説得力のある教室があるでしょうか?

 その翌日、主日ミサの中で結婚式が祝われました。小さな頃から教会で育った二人が、お互いの間に特別な恵みが置かれていることに気付いた。二人で共に生きるように、神に導かれていることに気付いた。これからも教会共同体の中で、家庭を育んでいくことが道だと選び取った。

 この二日間、そこに共に過ごさせていただいたわたしは大きな恵みを受けました。叙階、婚姻、この二つの秘蹟は「 奉仕の秘蹟 」と呼ばれます。教会共同体へ、家庭共同体へ奉仕するために、強められる。

 ミサの中で誓い、宣言する。これからの人生を自分ひとりのものとしてではなく、神からの恵み、奉仕に生きる。

 この美しく、気高く、誇らしい姿。自力に頼っている限り、決して到達できない次元。 「 人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。(マルコ10:27)

 わたしのような者が司祭になっていいのだろうか?そう自問自答し続けています。しかし、こんなわたしが司祭になれるならば、そこに神が働いているに違いない。わたしなどが働けるならば、聖霊が働いているのだ。この希望をいつも胸に、置いていたいのです。

 高円寺教会でも、復活祭に向けて入門講座が本格的に始まります。道であるイエスを求める求道者に、共に歩む入門係に、より一層の恵みが注がれるよう、祈ってください。

 

コラム回勅 「 神は愛

 新教皇の初の回勅「 神は愛 」。お読みになりましたでしょうか。回勅というと難しいイメージがあると思いますし、そういった物が多いのも事実ですが、この回勅は、読みやすいにも関わらず、実に核心を突いたものです。 教皇が公に出す文書には、「 回勅 」「 使徒的勧告 」「 使徒的書簡 」「 自発教令 」、「 ○○の日のメッセージ 」があります。この名称は、重要度による格付けのようなものです。そのなかで回勅は、教皇としての権威をもって、全世界の司教、信徒に宛てて出す一番重要な文書です。

 第一章は、哲学的に愛を分析しています。少々難解な部分もありますが、大切なことですし、生活に直結する重要な事柄です。第二章は、愛の奉仕についての考察であり、示唆に富みながらも、日々への課題を投げかけてくださっています。