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三島心神父叙階に寄せる言葉

プチ・フォワイエ

三島心神父叙階に寄せる言葉
中野 俊正

 

 まずは三島心神父、司祭叙階おめでとうございます。

 今回私は同じ歳の仲間が司祭になるという体験を初めてしました。小学生の時、土曜学校で一緒に遊び、野球のボールやバドミントンのシャトルを取るために幼稚園の屋根に登ってシスターに見つかり怒られたり、マッチの芯の部分ばかりをたくさん集めて駐車場で燃やして管理人に怒られたり・・・(なぜか怒られた思い出ばかり)そんな仲間が今は「 神父様 」!そんなとても稀な体験をしたのです。

 もっとも彼は中学入学と同時にサレジオ会の志願院に入り、早くもこの道を歩き始めたので、いつかはこういう日が来ると分かっていたので特に驚べきことではありません。しかし、やはり「 変なかんじ 」ではあるなぁと思っていました。

 けれども9月16日、叙階式の日はとても自然に彼が司祭になることを受け入れることができました。もちろん私が受け入れようと受け入れまいと関係ありませんが、そこにいた人みんながそう思えたのではないかと感じたのです。そしてまさにそれこそが「 司祭に叙階される 」ということなのではないかと思いました。「 自分がいかに頑張ってもそれだけではいけない。神様に 頑張ってもらわなければ 」と彼は言いました。本人の努力と神様の頑張りのおかげがあるからこそ、みんなから認められ受け入れられる今というタイミングで叙階の恵みが与えられたように思うのです。中学生以降は長期休みの際に帰ってくる彼とよく遊び、大学生以降は彼の神学生仲間も交えてよく一緒にお酒を飲みました。私の中でいつの頃からか、「 自分は心(神父)とは違うアプローチで教会と関わってゆくんだ 」という気持ちが出てきました。その気持ちは今も持ち続けています。やはり司祭だからこそできること、司祭ではやりにくいこと、信徒の力が必要なこと・・いろいろあると思います。そしてどちらからのアプローチも大切なことで 、そのバランスがとても重要です。2人で会うとよく互いの活動について話します。そして互いに「 それぞれの役割のなかで頑張っていこう 」という話になります。こう言える仲間がいることはお互いにとって本当にプラスだと思うし、これからも(むしろこれからこそもっと)大切にしてゆきたいと思っています。

 三島心という人を見ていてとても感心する部分、それは「 バランス感覚の良さ 」です。中学生からサレジオに入り、一度の挫折もなく(?)司祭に・・という人とは思えない感覚の持ち主だと思います。大切にする部分をきちんと持って自分の中で大切に磨いているけれども、それを他人に押し付けたりせず、とても気さくにいろんな人と交わってゆき、その中でタイミングを見計らって自分の大切なものをゆっくりと見せてゆく・・そんな感覚がとても優れているように思います。そんな彼だから、これからの生活の中での様々な困難をしっかりと受け止め、それでも前向きに歩んでゆく、そして同時に周りの人間を前向きにさせてゆくことができると思うのです。

 最後にもう一度、「 これからこそお互いに協力してやってゆこう! 」と言いたい。司祭になったからできること、司祭になったから直面する問題、司祭の思い、信徒の思い・・そんなことを何の壁もなくぶつけ合える仲間が近くにいることを神様に感謝しながら。