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神学生便り 「小道を歩けば」 ~十字架の勝利~

プチ・フォワイエ

神学生便り「小道を歩けば」
~十字架の勝利~
カトリック東京神学院 倉田 厚

 

 いよいよと言っていいでしょう。御復活です。イエスが、わたしたちの救い主であることを、ことさら強く実感する時。

 わたしたちが、今ここに在ることは、神の計画であり、神の望みです。そしてそれは、イエスにおいて最も強く見出すことが出来ます。

 父なる神は、わたしたちを生み出した方なので、父と呼ぶことが相応しいのです。当たり前のように、使っていますが、イエスが教えた親密な交わりなのです。イエスは、父の計画に自分の命の在り様を求めた。福音書は、イエスが、ごく当然に御旨を歩む姿、祈りのうちに御旨を識別する姿を描いています。

 イエスは、苦しみながら、孤独にさいなまれながら、歩んだのではないでしょうか? 神の子でありながらも、人と同じようなものとなったイエスは、神が与えた十字架への道を苦しみ悶えながら歩んだはずです。

 イエスは、苦しみの先に大いなる栄光を見ていました。それは地上の富とはまったく異なる。真逆とも言うべき宝です。

 イエスはすべての誘惑を退け、御旨を生きることこそ、最高の幸福。十字架の勝利とは、わたしたち人間が勝ち得ない悪霊の誘惑。それをイエスは退け切った。そしてわたしたちが、神を主として、わたしの父として歩むこと。その最高の道を支え、励まし、強めると約束してくださいました。

 肉のからだは滅びても、決して滅びることのない命。わたしたちが信じられていなかったこの事実を、イエスが身をもって示してくださいました。

 イエスキリストは、死んで3日後に復活なさいました。2,000年たった今でも、その復活したキリストは、わたしたちと共に、わたしの内におられます。

 自分自身が、神の萌芽とも言うべき存在である、すべての命は祝福された最高の存在なのだ。こう高らかに宣言されたのです。

 わたしからの信頼が揺らぐことはありますが、神からの祝福は、決して途絶えず、限りがない。 この復活祭にキリストとの決定的な交わりである洗礼を受ける方もいらっしゃるでしょう。

 わたしは、自存し始めたのではなく、父である神が望んで存在している。足りないこと、欠けていることがあるように感じてしまいますが、だからこそ尊いわたしなのだ。

 自分の存在に安心していいんです。

 認定を前に。

 西千葉教会で洗礼の恵みをいただいてもう7年も経ったのですね。

 しばしば、西千葉教会の聖堂や、皆さんのお顔や声を思い出し、励みにしています。不安だらけの高校生だったわたしは、この春、正式に神学生として認定を頂くこととなりました。

 皆さんの祈りに支えられ、御旨に誠実にありたいと願い歩んでいきます。