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神学生便り ~小道を歩けば~

プチ・フォワイエ

神学生便り
~小道を歩けば~
倉田 厚

 

 徐々に暑くなってきましたが、いかがお過しでしょうか?

 神学院の空調は集中管理なので、快適な室内環境を手に入れることがしいです。と、愚痴を言っても始まりませんので、先日の垣間見た天の国の話を したいと思います。

 神学生は、土日に司牧実習(アポストラートス)を小教区でさせていただいています。わたしの場合は高円寺教会での実習をしているのですが、そこで垣間見たものです。

 先月の「 てくむ 」でも紹介されていましたが、「 初聖体 」~初めてキリス トの御からだを受ける~子どもたちと関わる機会を持たせていただきました 。直前の週に、ご聖体の受け方と諸注意をこどもたちに話しました。

 いかに尊く、いかに大切で、これこそがわたしを生かすキリストなのだ。どう話せばいいか経験の薄い者にはわからなかったのですが、自分が信じていることをただしつこくばか正直に話しました。

 そして、ミサでご聖体をいただく時、神父さんが「 キリストのからだ 」といってご聖体を渡してくださる。それを「 キリストのからだ。とっても大切なものなのだ。と『アーメン』を答えてね。大きくはっきりと、遠慮もいらないし、恥ずかしがらずにしっかりと宣言してね 」というような話をしました。

 さて、その話の後で、子どもたちは「 ゆるしの秘蹟 」をいただくことになっていました。みんなが「 なんかこわい 」と漠然とした不安をもってい たようです。不安な面持ちで、司祭のもとへ行く子どもたち、しばし待つと 、「 輝いた顔 」で司祭のもとから跳び出てくる。「 大丈夫だよ!コワくない 」と、順番待ちの友達に言いながら。

 本物を肌で、直感で感じるから、ああやってすぐに宣教にまで飛びぬけられるのでしょうね。

 当日の話は、先月号の西千葉っ子の感想文を読んでいただければ、すべてでしょう。

 ただその時、わたしは出エジプト記34章でモーセの顔が輝いた話を思い出しました。顔と顔を合わせる。神様との関わりの究極を垣間見たのだろうな 。典礼聖歌128番も同じような喜びと悟りを歌います。

 あの輝きを、妨げることなく、むしろ学ばせてもらいたい。そういうことを思いました。

 いのちがまことに輝くのは、主と親しく交わっている瞬間。主と共に日々を生きること。そう信じ歩んでいます。

<マイブーム ~祈り方~>
 御顔を仰ぎ見る。聖書を読みながら、その時々の神さま、イエスさまの表情を想起します。そして語られている人々がどんな表情をしているのか、そ れは自分にとってどういうことを意味するのか?直接語りかけてもらっている感じがして、なかなか染み入ります。