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主のみ心の祝日

プチ・フォワイエ

主のみ心の祝日
四街道地域 里野 泰昭

 

 主のみ心に対する信心の起源は一般に、聖女マルゲリータ・マリア・アラコック(1647~1690)に主が現われ、愛に燃えるみ心を示されたことに求められています。

 彼女は主のみ旨に従い、この信心を広めるために尽くしました。彼女の死後、み心の信心は世界中に広まり、1856年にはピオ9世によって、「 聖体の祝日 」の次の金曜日が「 み心の祝日 」と定められました。

 み心の祝日の起源はこのように新しいのですが、その神学的な根拠は聖書に示された神の愛と三位一体の教義に求められます。

 三位一体の教義は、一人の人間イエスにおいて私たちに神が現われたことを教えます。この教義は、イエスにおいて神が現われた、イエスは神であるということを教えると同時に、イエスが完全な人間性を保持していることを教えています。三位一体論とそれに続いて行なわれたキリスト論についての論争に最終的な決着を与えたカルケドンの公会議の決定は、「 キリストは完全な意味で神であり、完全な意味で人間である。キリストにおいて神性と人間性は互いに混合されているのでも、また分離しているのでもなく、それぞれに完全な姿で現存している 」ことを教えています。

 この決定は、キリストにおいて完全な意味での人間性を認めず、キリストのうちに神性のみしか認めない単性説に対してなされたものでした。

  三位一体の論争においては、子なる神は父なる神と同じ一つの神性を有していることが主張されたのですが、それに続いて行われたキリスト論の論争においては、神であるキリストが同時に人間であるということと、神であるということと同時に人間であるということをどのように理解するかということが論争の争点となったのでした。

 しかし、単性説的な考え方はなかなか根強いものがあったようで、その後になっても、キリストの人間性は認めるものの、父のみ心を行なうというその意志は神の意志に全く支配されたものであり、人間的な意志ではなかったとする、単意説という考えが出てきました。この考えは再び公会議によって異端としてしりぞけられました。教会は、人間イエスが人間としての自分の意志で父のみ心を行なうことを意志したということのなかに、決して否定することのできない信仰の真理があることを認めたのでした。

 子なる神であるイエスが、「 私は父のみ心を行なうために来た 」と言うとき、イエスは人間としての自分の意志で父のみ心を行なうことを決意されたのです。み心の信心において、イエスのみ心に対する崇敬が行なわれるとき、私たちはこのことを少し考えてもよいのではないかと思われます。イエスが一人の人間として、十字架の苦しみと孤独の中で、「 わたしの神、わたしの神、何故わたしを見捨てられるのか 」と叫ばれたときのイエスの心境を、私たちは自分の心の中で、自分のこととして深く味わうことが必要なのではないかと思われます。

 イエスが、私たちと同じ人間性を持った、私たちと同じ一人の人間であるという信仰は、始めから教会の信仰の核心であったのですが、その理解は時代と共に深められ、豊かになっていったと思われます。

 現在私たちが当たり前のように見ている、十字架に懸けられた苦しむイエスの像は、古代にはありませんでした。十字のしるしそのものが始めからあったのではありませんでした。始めは、「 イエス・キリスト、神の子、救い主 」を意味する魚のしるしがキリスト者のしるしであったと言われています。

 他方、十字のしるしは、古代ではキリストの十字架とは関係なく救いのしるしとして一般に流布していたようです。十字は東西南北、或いは上下左右を表わすので、完全な世界を表わすとか、燃えてぐるぐるとまわる日輪を表わすとか言われ、そこから救いのしるしとして用いられるようになったようです。ゲルマンのハーケンクロイツ(鉤十字)とか、仏教のまんじなどはそのような十字の例と言えるでしょう。

 キリスト教が十字を自分たちのしるしとするようになったのは、そのように十字が一般に救いのしるしとして受け入れられていたことと関係があると言われます。しかし、キリスト教徒が十字を受け入れるためには、それがキリストの十字であることをはっきりと示すことが出来なくてはなりませんでした。

 今の私たちから考えるなら、苦難のキリストの像をつければよいと思われるのですが、そうはなりませんでした。当時の人たちは非常に控え目でした。十字の真ん中にキリストの顔を描くとか、槍に貫かれた小羊のような受難を表わすシンボルをつけることによって、それがキリストの十字であることを示したのです。

 だんだんとキリストのからだを十字架の上に示すようになっても、受難のキリストではなく、王としてのキリストを示すという方法が取られました。また受難のキリストを描いても、キリストの苦しみそのものではなく、キリストの苦しみの神学的な意味を示すような図像が取られました。キリストの脇腹から迸り出る血をカリスで受けて、キリストの受難とミサとの関係を説明するような絵があります。キリストも苦しそうな顔をせず、どうぞお受け取りくださいと言わんばかりのニコニコとした表情なのです。

 苦難のキリストを表わす十字架は12,3世紀になってようやく現われてきます。14世紀にはキリストの苦難を極端に強調した十字架像が作られるようになります。これは中世紀に個人の意識が高まると共にイエスの人間性に対する関心が深められ、彼の人間としての苦しみに対する共感が強められた結果ではないかと思われます。

 一般に中世というと人間性を無視した時代と考えられているのですが、実際には中世は個人の意識が強められた時代であったのです。また、生活の苦しみをキリストの苦しみに合わせて受け入れるという気持ちもあったかも知れません。14世紀にはペストが流行り、キリストの苦難を強調したペスト十字架という十字架が作られました。

 理性と意志、そして感情は人間性の重要な三つの要素ですが、中世紀には感情は余り重きを置かれなかったと言います。中世は理性と意志の時代でした。聖トマスのスコラ哲学は理性と意志(信仰)の調和が最もよく取れた体系であると言われます。近代は理性の時代であるとよく言われますが、近代は理性と意志(信仰)の調和が崩れていった時代です。その一方で、近代は人間性の要素のもう一つの重要な柱である感情を評価することを知るようになりました。感情は近代の発見だとも言われます。

 その近代において、主のみ心の信心が生まれたのは歴史の必然であったのかとの思いがないではありません。主の人間的な苦しみを発見した中世に続いて、その苦しみを感情によって共感する信心が生まれたのは、まさに近代だとの思いを強くします。

 しかし、単に感情に流されるのではなく、信仰の伝統によってしっかりと基礎づけられた理解によって、感情の内容を更に深め、豊かにするように努めたいものだと思います。