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てくむ 2019年8月号

司祭のお話 てくむ 2019年8月号

聖母の被昇天のお祝い

ミカエル泉 雄生神父

 8月15日「聖母の被昇天」の祭日は、終戦記念日であると同時にお盆でもあるので、「先祖や戦没者を悼む」という気持ちを抱きながら聖母の被昇天をお祝いします。
 復活のイエス様はご自身で天に昇られました。だからイエス様の場合、「主の昇天」といって「被昇天」にはなりません。「被」というのは「被る」(こうむる)、つまり「受け身」を意味します。マリア様の場合、自力ではなく、神様によって天に上げられました。だから受け身を意味する「被」という文字を付けて「聖母の被昇天」と表現されます。
 マリア様は死後、「肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、・・・他のキリスト者の復活を先取りされました」(『カトリック教会のカテキズム』966)。非常に興味深いのは、私たちの場合、死んだ後、肉体は滅び、霊魂は私審判を受け、天国か煉獄(れんごく)に行くことになります。自ら神様の愛を拒否した場合は地獄に行くこともあります。そして世の終わりに、イエス様が再臨し、私たちは再び肉体を受けて復活し、最後の審判(公審判)を受け、永遠の安息に入るか、永遠の火の中で焼かれることになります。ポイントになるのは、私たちは死んだ後、霊魂の状態になり、世の終わりに復活するとき、再び肉体を受ける、という教えです。
 しかし、マリア様の場合は特別で、死んだ後、霊魂だけではなく、肉体もまた一緒に天に上げられました。ここが私たちや普通の聖人たちと異なる点です。マリア様は、被昇天なさるとき、霊魂だけではなく肉体も天に上げられたので、それはある意味で世の終わりの復活の先取りになると言えます。マリア様の被昇天のお姿は、私たちが世の終わりに復活するときの模範です。三位一体の神様がマリア様になさったこの救いのみわざは、私たちが世の終わりに受ける救いのみわざの前表です。それだけ大きな恵みを受けた聖母マリアの被昇天を、私たちは将来受ける自分の救いの出来事としてお祝いします。
 最近は「煉獄」、「地獄」、「裁き」の教えを強調しなくなりました。しかし、それらの教えは決して否定されたわけではなく、今も存在しています。もちろんそのような教えを「脅し」として用いることは慎まなければなりませんが、8月15日を迎えるにあたり、聖母マリアとともに、先祖や戦没者といった死者の魂のために祈ることは大切なことです。
 カトリック教会では、ミサの中で、煉獄の魂にはその清めを願い、天国の魂には私たちために取り次ぎを祈ります。この伝統はいつまでも大切にしたいものです。