トップ >  信者の方へ >  司祭のお話 > 

てくむ 2019年6月号

司祭のお話 てくむ 2019年6月号

教皇フランシスコ講話『ミサ・洗礼・堅信』

ミカエル泉雄生神父

 教皇フランシスコが今年11月下旬に来日することがほぼ確定しました。それに伴い、毎週金曜日の「カトリック研究」という講座でも、教皇フランシスコの人となりを深めようということで、最近出版された教皇講話集『ミサ・洗礼・堅信』(ペトロ文庫)という本を取り上げることにしました。「ミサ」という、私たちのカトリック信仰で一番大事な「祈り」について――ミサに勝る祈りはありません――、教皇フランシスコはとても分かりやすく説明してくださいます。「霊的読書」としてもお勧めの一冊です。暗記してしまうまで繰り返し読むことをお勧め致します。
 さて、教皇フランシスコがこの本の中で強調していることは、ミサというのがキリストの現存の場だ、という当たり前の事実です。「現存」という言葉が難しければ、「出現」もしくは「出会い」と言い換えてもかまいません。ミサというのは退屈な宗教的儀式なのではなく、イエス様が出現する場、イエス様との出会いの場です。「感謝の祭儀は、わたしたちのいのちであるイエス・キリストが現存する、驚くべき出来事なのです」(同書p. 18)。ミサというのは、イエス様と出会う場であり、この「驚くべき出来事」によって私たちの人生は変えられていきます。イエス様に出会い、自分を変えていく一番いい方法は、ミサに出ることだ、ということです。
 教皇フランシスコは、ミサこそキリストの現存の場、イエス様との出会いの場であることを強調して、次のように言います。

 主はそこに、わたしたちとともにおられます。わたしたちはしょっちゅう、司祭が感謝の祭儀を執り行っている最中に、そこにいながらも、何かを見たり、ひそひそおしゃべりをしたりします。これでは主のそばで祝うことにはなりません。主がおられるのに!もし今日ここに、イタリアの大統領や世界の要人がいたとしたら、その人のそばに行こうとしたり、歓迎しようとするはずです。考えてみてください。ミサに行けば、主がそこにおられるのですよ!それなのにあなたは気もそぞろです。主ですよ!どうかこのことを考えてください。「神父様、それはミサが退屈だということですよ」。「おやおや、何をいうのです。主が退屈だとでもいうのですか」、「いえいえ、ミサではなくて、司祭たちのことです」。「なるほど、司祭でしたらありえますね。でも、そこにおられるのは主なのです」。分かりますよね。「ミサに参加することは、あがないをもたらす主の受難と死を今一度味わうことなのです」。どうかこのことを忘れないでください。(同書pp. 18-19)
 ミサとはイエス様との出会いの場です。これを難しい言葉で「キリストの現存」といいます。上に引用した箇所を繰り返し読むだけでも、ミサの大切さが伝わってくると思います。それと同時に、教皇フランシスコの温かさと厳しさも伝わってきます。11月の来日まで、これほどまでにミサを大切にしている教皇フランシスコのために祈っていきたいと思います。