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てくむ 2018年5月号

司祭のお話 てくむ 2018年5月号

聖母月を迎えて

泉 雄生神父

 5月は「聖母月」(せいぼげつ)と呼ばれ、10月の「ロザリオの月」とともに、カトリック教会の伝統では聖母マリアを特別に崇敬する月とされています。ここで基本的な確認ですが、マリア様は「崇敬」(すうけい)の対象であって「崇拝」の対象ではありません。私たちが崇拝するのは三位一体の神様だけであって、マリア様に対しては特別な尊敬を示す(=崇敬する)だけです。崇拝というのは、自分の思い・言葉・行いのすべてを捧げる行為を意味しますが、それは神様だけにする行為であって、マリア様にはしません。先日、千葉寺教会である高校生から「プロテスタントの友人から、なぜカトリックは聖母マリアを神のように崇拝するのかと言われた」と聞いたので、この場を借りて敢えて確認してみました。
 しかし、そうはいっても、私たちカトリック信者は他の聖人たちと比べて、はるかに特別な尊敬と信心を聖母マリアに対して抱いています。それはなぜでしょうか。なぜ私たちは、アヴェ・マリアの祈りを唱え、ロザリオの信心を大切にし、処女懐胎と無原罪の御宿りを信じ、聖母マリアの被昇天をお祝いするのでしょうか。なぜ「不思議なメダイ」を身に着け、ルルドやファティマでの聖母のご出現に心を躍らせるのでしょうか。西千葉教会は「被昇天の聖母」という聖堂名をもち、前身の千葉教会時代から聖母マリアの名をもつ教会です。その意味で、西千葉教会に属する私たちは、聖母マリアの信心を特に大切にしなければなりません。
 なぜ私たちは聖母マリアを特別に大切にするのでしょうか。それはマリア様が、神様の救いのわざの一番の協力者だったからです。今でいえば中学2年生くらいの年齢で、突然聖霊によってイエス様を身ごもったマリア様。この時、マリア様の発した「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)という言葉は、後にも先にも、人類が神様の救いのわざに協力できた最大限の「はい」となりました。このマリア様の「はい」を、私たち自身もまた、いつでも言えるように心の準備をしていなければなりません。この準備の一環として、私たちは聖母マリアの信心を大切にします。
 神の子イエスを宿したことにより、マリア様は天使から「恵まれた方」(ルカ1:28)と呼ばれ、世の終わりまで人々から「幸いな者」(ルカ1:48)と呼ばれるようになりました。なぜマリア様が「幸い」であり「恵まれた方」なのか。それはマリア様ほど「神が共におられる」(=インマヌエル、マタイ1:23参照)ことを経験した人はいなかったからでした。「神が共にいる」ということは、ただ神様がそばにいることを意味するのではなくて、神の子をこの身に宿すことであると、マリア様は身をもって教えてくださいました。私たちにとって救い・幸せ・恵みとは、神の子をこの身に宿すほどに、神様と一体になることです。
 聖母マリアは「神の母」であると同時に「教会の母」でもあります。それは私たちカトリック信者が、マリア様を通してイエス様を賛美するように招かれているからです。すべてのマリア信心は、この神の子イエスを賛美し、天の御父に感謝するという、二つの目的のためにあります。決してマリア様自身を崇拝するためのものではありません。
 聖母月を迎え、特に聖母マリアの信心を通して、心からキリストを賛美し、天の御父に感謝できますように、聖霊の導きを願いたいと思います。