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てくむ 2017年11月号

司祭のお話 てくむ 2017年11月号

祖母の思い出

ミカエル泉雄生神父

 「死者の月」(11月)にあたり、幼い私にカトリックの信仰を教えてくれた、今は亡き祖母の話をしようと思います。まず手始めに、祖母と関係の深い私の司祭叙階記念カードの御絵について説明しようと思います(写真参照)。この御絵は、18世紀の英国人画家ジョシュア・レイノルズの「幼きサムエル」という絵です。今でもカトリック幼稚園などでよく見かけますが、私の祖父母の家にも掛かっていました。幼い頃、この御絵の左上に描かれている光がとても怖くて、私は祖母に「あの光は何?」と尋ねました。すると祖母は「あれは神様だよ」と優しく教えてくれました。この御絵の場面は「サムエルの召命」と呼ばれる有名な箇所ですが(サムエル記上3章参照)、司祭召命の道を歩んでいく中で、この幼い頃に見た不気味な光は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)と呼びかけていたんだ、ということに気がつきました。この御絵は、祖母の思い出とともに、私の司祭召命の原点ともいえるものです。そこで、私にカトリックの信仰を教えてくれた、今は亡き祖母への感謝を込めて、この御絵と聖句を司祭叙階記念カードに選んだわけです。
 祖母の思い出でもう一つ忘れられないことがあります。それは「聖なるひなたぼっこ」というお話です。私が長い浪人生活を続けていた頃、辛くなって祖母に手紙を出しました。するとその返事の中に、この話のことが書かれていました。かなり記憶が曖昧になってしまっていて、間違っているかもしれませんが、たしか祖母が若い頃、とある外国の従軍司祭の日記を読んでいたときに「聖なるひなたぼっこ」という話に出会ったということでした。何か辛いこと、悲しいこと、苦しいことに遭遇したとき、誰もいないお御堂のご聖櫃の前で、一人静かに座ってみる。祈ることもせず、ただただぼんやりと聖体ランプを見つめてみる。すると不思議と心が温かくなり、ぽかぽかしてくる。あたかもご聖体のイエス様が太陽になって、私たちの心を温めてくださるように。そんな話だったと思います。
 あまりにも大きな苦しみや悲しみに出会ったとき、人間は祈ることすらできなくなります。そんなときは、決して無理して祈ろうとはせず、ご聖体のイエス様の前でじっとして、ただただ聖体ランプの赤い光に照らされるだけでいい。祈るのは、心が温まってきてからでいい。今、司祭になって祖母から教えてもらった「聖なるひなたぼっこ」の話を思い出すとき、そのように感じています。この話を通して、祖母は私に、ご聖体の神秘とありがたさについて教えてくれたのだと思います。
 皆さんにも一人ひとり、信仰の恩人がいると思います。私も、祖父母を含め、信仰を教えてくださった、今はこの世にいないすべての恩人たちのために祈る月にしたいと思っています。