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てくむ 2017年8月号

司祭のお話 てくむ 2017年8月号

聖母の被昇天に思うこと

主任司祭:福島一基神父

 先日、真生会館で行われたシスターたちのパネルディスカッションに行ってきました。現役のシスターたちの入会する以前のことや、召命のこと、現在の生活のことなどを興味深く聞くことができました。あるシスターは入会前に求婚されたことなど、かなりドラマチックな話もあり、プログラム後半の分かち合いでも大いに盛り上がりました。
 その中でほとんどのシスターが、自分たちは「選ばれた」もしくは「選んでいただいた」と言っていたことが印象に残りました。まさしくシスターもまた司祭も、なりたくてなれるものでもなく、なりたくなくてもならざるを得ないようなものなのです。それが召命であると改めて感じました。決して自分の力だけでなれたのではない、神の恵みと助けによって選ばれるのです。この選ばれたシスターたちが自然に醸し出す謙虚さの中に、奉献生活の素晴らしさと豊かさを感じました。
 さて考えてみますと、皆選ばれるためにいろいろな努力をしていると思います。部活のレギュラーに、企業の一員に、チームのリーダーに、また地域の議員になど自分のなりたいものに選ばれるためです。また愛する人の伴侶に選ばれるために努力をしている人もいるでしょう。でもこれは選ばれるのではなく、選ばせているのです。周りに自分の努力や能力をもって選ばせているのです。選ばれないのは努力が足りないか、適応する能力がないということなのです。
 もちろん召命に応えることも、ある程度の努力の能力は必要ではありますが、何よりもその選びの基準はすべて神様にあります。努力によって選ばれるのではなく、選ばれたあと、それに応えるべく生きるよう努力が必要となります。もちろん神様は応えられないような選びを行いません。ただ神様の選びに信頼し、委ねていくことしかできません。
 「あなたは選ばれ、祝福され」たマリア様も、お告げを受けた時はただ素直に応えただけでしたが、救い主の母としての使命を果たすために大きな苦難を強いられました。しかし様々な出来事を思いめぐらしながら、神様に委ね生涯を全うされました。マリア様が神の母、無原罪の御宿り、幸せな方と言われるのは、その生涯を全うしたからこそ与えられた栄誉なのです。私たち西千葉教会の保護者、被昇天の聖母は召命に応えきった信仰者の模範なのです。
 すべての召命に生きるキリスト者が、また特に西千葉教会に集まる私たち一人一人が、神様の選びに素直に応え、信頼のうちに全うしていく恵みを願います。