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てくむ 2016年12月号

司祭のお話 てくむ 2017年3月号

本当の幸せ

主任司祭 パウロ福島 一基神父

 イエス様は山上の説教で、山の上から人々にどんな声で語りかけたのでしょうか?どんな声で語りかけて下さったのか、ちょっと興味のあるところです。聴きやすくて素晴らしいお言葉だったと思います。
 今日は「幸せについて」お話したいと思います。幸せは英語でハッピー。ハップンという言葉からきているらしいです。ハップンを名詞にするために ing を付けて、ハプニング。思いもかけない出来事などを指す言葉です。ですから、幸せというのは思いがけないというイメージがあると思います。
 私達が思っている幸せ、それは自分の力で積み上げていくもののように思っていないでしょうか?勉強して、一生懸命働いて幸せをつかむ。その幸せって一体なんなのでしょうか?「幸せでない」というのは、まだまだ努力が足りないという事なのでしょうか?努力しなければ、幸せになる資格はないのでしょうか?勉強したくても学校に行けない人がいます。働きたくても体が悪くて働くことが出来ない人もいるわけです。そう考えれば、そういうものが、本当の幸せだとは誰も思っていないはずです。
 また、自分で積み上げた幸せは、案外一瞬で崩れ去るものだと思います。22年前の阪神淡路大震災、6年前の東日本大震災、そして、昨年熊本での大地震、一カ月前には新潟の大火事がありました。私達に大きな教訓となっているかもしれませんが、積み上げてきたものが一瞬にして無くなってしまいました。そして、今の時期、私が思い出すのは神学生時代の事です。神学校は非常に寒くて、禁止されていた電気ストーブを持ち込んでいる学生がいて、それを使うと、すぐブレーカーが落ちるのです。すると、あちこちの部屋から、「あーっ」という声が聞こえてきます。試験期間中でレポートを作っていて、そのレポートが、途中で全部無くなっちゃうのです。これは、ショックでした。
 でも、それは、今だけの話ではありません。イエス様の時代も、それほど変わらなかったと思います。どんなに頑張っても周りの状況によって左右されてしまう。私達はそういう中に生きています。明日、どうなるかもわかりません。幸せって一体なんなのでしょう?私達は何を目指しているのでしょう?そんな私達に、イエス様は今日の御言葉を語りかけられたのだと思います。
 「心の貧しい人、悲しんでいる人、柔和な人、義に飢え渇く人、憐れみ深い人、心の清い人、平和を実現する人、義の為に迫害される人、そしてキリスト信者ということで迫害される人、身に覚えのないことで悪口を言われる人、こういう人達は幸いである」と。
 イエス様は、何故こんなことをいきなり山上の説教の冒頭に言われたのでしょうか?確かにイエス様のもとに集まってきた人は、貧しい人や病気の人だったと言われています。でも、実はこれ、全部イエス様に当てはまる事なのです。イエス様は、最も幸いな神の子なのですけど、私達の為に貧しくなられ、私達と同じように弱い人間になって下さいました。それは、私達を愛して下さっていたからです。それでは、イエス様は神様であったのに人間となられて不幸になったのでしょうか?
 イエス様が不幸になる世の中は、最悪の世の中だと思います。貧しい人が打ちのめされて、悲しむ人がほっとかれて、柔和な人が報われない、義に飢え渇く人が絶望し、憐れみ深い人はいいように使われ、心の清い人は馬鹿にされ、義のために迫害される人がたくさんいるような世の中など、いやですね。
 だから、みんなで幸せになっていこうと、イエス様は一番初めに呼びかけたのではないでしょうか?そして、神様はそういう人達と共にいる、という「本当の幸せ」を私達にずっと示し続けて下さっているのではないでしょうか?
 これこそ、イエス様が教えて下さった私達の目標ではないかと思います。そして、将来が真の幸せに満たされることを、ミサの中で皆さんと共に祈りたいと思います。