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てくむ 2016年12月号

司祭のお話 てくむ 2016年12月号

クリスマスツリー

主任司祭 福島一基

 主の降誕おめでとうございます。決して英語が嫌いなわけではないのですが、あまりメリークリスマスとは言いたくありません。日本ではクリスマスを知らない人はいないはずです。イエスさまの誕生日をお祝いしているのに、それを知らずにメリークリスマスが雑多に使われていることに残念な気持ちになるのです。ご存じの通り、クリスマスとは主の降誕の英語での言い方です。フランス語もスペイン語もラテン語もあるのですが、何故か英語のクリスマスしか知りません。そもそも英語圏の宣教師が広めたのかもしれませんが、何よりも商業戦略の中で広まったものだと言われています。クリスマスといえば、サンタクロース、電飾にパーティー、ケーキにプレゼント。豊かになった日本人に余計なお金を使わせるためのイベントのように感じます。それでも年末のひとときをみんなで楽しむことは悪くないでしょう。  さてこの季節に欠かせないものとしてクリスマスツリーがあります。商店街や駅前にはみごとなクリスマスツリーが飾られています。しかしなんで飾られるのでしょうか。イエスさまの誕生の場面には、飾られた木は登場しません。サンタクロースと共にクリスマスのシンボルともなっているツリーは一体何なのでしょうか。
 本来キリスト教とはまったく関係ないヨーロッパの原住民の冬至の祭りで使われたいたことが起源だという説があります。樹木信仰が強いその原住民を改宗させるためもみの木を利用したとか。1400年代にドイツで飾られたのが最初の記録であるとあります(Wikipedia参照)。いわばキリスト教が土着信仰と結びついてクリスマスツリーが広まっていったようです。
 そんな中で当時の教会でも、クリスマスには聖劇を行っていたそうです。しかし今とは違い、キリストの誕生の場面ではなく、人類が神との親しい交わりを失ったアダムとエバの堕罪物語が演じられていたそうです。それはイエスさまの誕生が、神との交わりを回復した出来事として教えるためだったようです。その中で「善悪の知識の木」(創世記2:9)が登場します。アダムとエバは悪魔の誘惑によってこれを食べて最初の罪を犯すのです。その木をもみ、またその実をリンゴにしたのがクリスマスツリーの始まりだというのです(白浜満著「わかりやすいミサと聖体の本」女子パウロ会参照)。
 なんとあのクリスマスツリーは人間の罪のしるしだというのです。確かに「善悪の知識の木」の実も「いかにもおいしそうで、目を引き付け、……唆していた」(創世記3:6)とあります。確かにクリスマスツリーもきらびやかにわたしたちの目を引き付けます。きれいな飾りに引き付けられ、罪に陥ってしまったことを思い起こすものだったなんて。でもそんなわたしたちをイエスさまは暗闇から、まったく飾らない裸の幼子の姿で照らします。ここに本当の恵みと救いがあります。
 今年は少し違った見方でクリスマスツリーを眺めてみてはいかがでしょう。