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てくむ 2015年7月号

司祭のお話 てくむ 2016年7月号

「イエス様に従って」

主任司祭 パウロ 福島一基

 話の中に、羊飼い、羊がよく出てきますね。神様と私達人間の関係を教えているものです。もちろん、羊飼いは神様、羊は神様によって呼び集められた人間の集団、教会をさします。羊飼いにとって、羊は自分達の生活の糧ですからとても大切なものです。羊にとっても、羊飼いは自分達を養い育ててくれる存在です。双方互いに強く結び合っています。でも、羊にとって、よい羊飼いに当たれば、よく世話してもらうことで羊飼いの言うことをよく聞き、肥えて、おいしい肉・乳を出すことが出来るのではないかと思います。
 これは、私達人間にも同じことが言えると思います。よい人間になる為に必要なものは、よい指導者だと思います。人間ひとりで、よい人間・よい指導者にはなかなかなれません。私も指導者を、神学校には入るまで、一生懸命探していた時期があります。今日は召命祈願の日ですが、召命って面白い所から来ると思います。私が神学校に入るきっかけになった一つは、ヤクザ漫画です。よいヤクザというのは変ですけど、よいヤクザになる為には、いい親分さんに付かなきゃいけないんだ、そのくだりが、何となくその通りだな、と思ったんですね。自分もよい親分さん、よい指導者に当たりたい、なりたいなといった気持ちの時、ふと気付き、神父になる道が開けた、というところじゃないかなと思っています。
 子供への親の影響力はすごいものがありますね。顔が似るぐらいではなく、体つきから体臭・仕種まで。養育者なのですから、子供が親に似るのは仕方のないものかもしれません。が、子供を育てるのは親だけではありません。世の中、社会も人を育てます。皆がやっているから、という言葉、よく使いますよね。社会がそうだということは、本当に人に大きな影響を与えます。教会に行きなさいと言っても、周りが行かないから、なかなか子供に伝わらない。伝えることをあきらめてしまうところが私達にはあるのかもしれません。教会に若い人が来ないと言われて久しいですが、後に続く人達に、未来に責任があります。社会を変える為には、私達一人一人が自覚して、羊飼いになっていかなければいけないんだと思います。
 でも、「俺についてこい」という人には気を付けた方がいいです。両親、先輩、上司、部長、社長、神父、司教、という肩書で、この人偉いんだ、付いていくべき人なんだと、思ってはいけません。人間は他人を見下すことはできません。私達は神様のもとでは、皆、同じ羊です。私達を見下していいのは神様、イエス様だけです。でも、唯一私達を見下し導いて下さる力を持ったイエス様、神様ですら、上からものをいう様な言い方はなさいませんでした。神様は確かに天から語りかけましたけど、一番語りたいことはイエス様を通して、十字架にありました。イエス様は、私達と同じ人間の姿を取られ、一番貧しい、低い所に、同じ弱さを身にまとって、人間として最低と思われる犯罪者の一人となって来てくださいました。イエス様は、自分について来いといういい方ではなく、神様についていく生き方を私達に教えてくださいました。イエス様こそ、私達のよき牧者です。皆さん、私達の指導者は主任司祭ではなく、イエス様です。私も、キリストに従う一人なのです。共にイエス様に従って参りましょう。私達はイエス様に従ってこそ、一番人間的な生き方ができ、救いへ到達することができるはずです。その為に、神様は、今日、私達をここに呼び集めてくださいました。洗礼という恵みを与えてくださり、日々の糧として御聖体を私達にくださいます。イエス様と深く結ばれて、私達が歩んでいくことが出来るように御ミサをお捧げしたいと思います。