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てくむ 2015年2月号

司祭のお話 てくむ 2016年2月号

「神の業」

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 新しい年を迎え、今年も神さまのお恵みがみなさまの上に豊かにありますように、お祈りします。
 最近、ある司祭の、しかも司祭でありながら生物学の学者さんと話す機会があった。そして、とても興味深いお話を伺った。
 それは、人間の身体は沢山の小さな細胞からできていて、なんとその数は60兆にもなるそうだ。そんな沢山の細胞によって、私たち一人一人は生存しているのである。しかも、この60兆の細胞はバラバラに働くのではなくて、必ずある集団ごとに形成されている。例えば、肝臓が正常に働くように細胞は常に見守り、万が一不都合が生じるとすぐそれを補強するために群れなして働く。そういう集団だ。
 また一つの集団は共同体として、それぞれ違った独自の働きをしている。みんなそれぞれ、互いに他の細胞の働きを尊重し、他の共同体と協力して働く姿は見事というしかない。「人間の業(わざ)ではとても作れない。人体は神さまに創られたもの。神秘に満ちている」と仰っていた。
 さらに細胞の世界では多種多様な化学反応をおこす工場があちこちに設置されている。例えば指を切ると血が出る。でも放っておいても自然に止まる。あれも細胞の働きだ。
 そして驚いたことに、生まれてからなんにもやらない、さぼって寝ているばかりの細胞がいるそうだ。これを<K細胞>と云う。ところが、K細胞は人体にガンの細胞が発生すると、突然起き出す。そして同じ役割を背負った細胞たちに特殊信号を送る。そして一緒になって、発生したガンのところに行き、そのガンが死ぬまで徹底的に攻撃し、死んだことを確認すると、また自分の居たところに正確に帰るそうだ。「お見事」と言うほかない。
 しかも人体の中はきわめて穏やかだ。常に同じ体温を保ち、同じ圧力の穏やかな環境の元、たがいに細胞たちは他をジャマすることなく、秩序正しく、静かに働いている。まさに神のみ業。ひとつの人体の中ですでに神の国ができている、と聞いた。
 さて、人体でなく私たちの世界を省みてみると、諸国間のいろんな争い、憎み合い、攻撃しあい、その結果なにがもたらされているだろう。それは、世界の国のいっそうの分裂だ。
 では2千年前のイエスさまの時代のユダヤではどうだっただろう。そう、規模は小さいけれども、当時もすでに国同士の争い分裂がひんぱんにあった。その只中で、洗礼者ヨハネが登場する。そしてヨルダン川で行われる水の洗礼を受けよ、と人々に勧める。
 「ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(ルカ3・16)
 水には、汚れを落とす役割がある。ところが火と聖霊は、もっと積極的だ。それらは内側に働き、根本的に内側を焼き直す意味合いがある。火は、相手の質を変えてしまう。それはちょうど私たちのキリストへの信仰とおなじだ。かつてイエスさまに出会い、イエスさまを救い主として信じることにより、洗礼を受け、私たちは聖霊を注がれた。
 キリストにおいて新しくされ、聖霊の力によって心が焼き直されたのである。キリストに出会い、神さまを信じることのすばらしさを日々体験し、いままでの苦しみの日々から喜びの日々に、私たちは変えられた。このおおいなる変化こそ、神のみ業(わざ)、そして救いそのものである。
 人間のからだを作る60兆の細胞は個々別々に、役割は違っていても、身勝手な自己主張はしない。やがてキリストのもとに一致する私たち、それこそが未来の神の国の姿だ。
 たしかに家庭で家族みんなが自分勝手に自己主張していたら、どんなにりっぱな家に住んでいても、バラバラの暗い家庭だ。自己主張、すなわち罪は分裂をもたらす。一方、愛は相手の立場に立って考えて行動することだ。家族内でお互いにその原則に従って生きるならば、かならずその家庭は愛に満ちた、暖かい一致した家庭になる。
 <愛は一致をもたらし、罪は分裂をもたらす>。これは真実であり、イエス様がこの世に来られた理由も、罪によって分裂したこの世を、キリストの愛のもとに一致させること。神の国を創ることである。
 些細な存在の私たちもひとたびイエスさまから省みられ、聖霊を注がれたならば、とたんに私たちに光が射し、輝き出す。ひとつひとつの細胞である私たちは、かけがえのない者として名前がつけられ、イエスさまから名前で呼ばれ、イエスに抱きかかえられ、ハッキリと宣言される。
 「あなたは、いるだけですばらしい」