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てくむ 2015年9月号

司祭のお話 てくむ 2015年9月号

おなじ思いのない日々を願う

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 この夏は戦後70年の年だった。日本のカトリック教会では毎年8月6日から15日までの10日間を<平和旬間>として、世界平和のために特別祈り、お互いに知識を与えあい、特に核兵器が世界からなくなるように誓いを新たにする日々としている。
 広島と長崎の原子爆弾はじめ、連日個人の戦争体験が新聞等で報道されているが、あの戦争を体験した人々が高齢化し、戦争の悲惨さを若者に伝えることが難しくなってきているようだ。

 私もささやかながら、戦争の残酷さを体験した。70年前、私は東京・品川駅近くに6人兄弟の5番目として、父母(ちちはは)と共に生活していた。そして私があと少しで小学校に入る昭和20年3月10日、東京下町の大空襲があった。B29の爆弾と焼夷弾によって、一晩にして十万人が死んだ日だ。
 その日は寒い夜、風の強い日だった。敵機襲来の合図は鐘やラジオで知らされ、各家庭の人は縁の下に掘った2メートル四方の防空壕に避難した。B29の鈍い飛行音、爆弾焼夷弾の投下される金属製の音、投下後のすさまじい地響き。小さい私は10キロ先に飛来するB29を見たいから、梯子段を上がって外に出ようとした。親は必死になって私を止める。それを繰り返すうち、私は梯子段の途中でスヤスヤ寝入ってしまい、親は安心した。
 一時間で警報が解除されて、家族は外に出ても私はそのまま眠っていた。実は私は防空壕が酸欠(練炭で暖をとっていたので)で空気が薄くなっていた。そこで本能的に外に出ようとしていたのだった。人事不省の私は、一時間後駆けつけた医者の声で目を覚ました。「あと30秒発見が遅れていたら、この子はダメでしたね…。」
 この言葉を思い出すたびに、私は「ああ、自分は戴いた人生だ」。「神さまは理由があって、この世に私の生命を残して下さったのだから、これからの日々は神さまのご用のために、自分の人生を捧げよう」と思うのだった。
 もう一つ、戦争の残酷さ。それは飢餓の体験だった。この大空襲がきっかけで小学校入学前なのに、私の学童疎開が始まった。栃木県・鬼怒川温泉の奥の川治温泉、この湯治場の旅館の離れに就学前の同じ年令の子ども35人が集まった。親から引き離されただけでも辛いのに、それ以上に食べ物のない辛さ。毎日の食事はスイトンがわずか2個だけだった。でも先生は「おなかが減ったと言ってはいけません」と命令する。
 どんなに辛くても、子どもは親が側にいてくれれば、多少なりとも安心。しかし、そういう精神的な安心感を得られたはずのものが、根本からない。
 朝から夜まで、食べ物のことばかりしか考えなかった。この飢餓の体験。まるでいまの北朝鮮の子どものように、隣りの畑にはいつくばって行き、雑草でも小さな虫でも、身を低くし這いずり回って、ともかく何でも口にいれた。だから年中下痢をし、栄養不良ですっかり頭がハゲてしまった。
 東京から時々、親が面会に来、大きなおむすびを必ず持ってきてくれた。でもそれも「あとでみんなで等分」と先生に取り上げられた。面会のあと、母が東京に帰るバス停がはるか彼方に見える。私はそれを見て、「おかあさーん、おかあさーん」。大声で泣き叫んだ。あれほど悲しいことはなかった。そして、人生とは寂しいもの思い通りにならないもの、と心底感じた体験だった。

 35年後、神学生の時に夏の子供のキャンプで湯西川に行ったのでクルマで川治温泉に寄った。懐かしい、昔お世話になった旅館に行った。旅館の大きな門前に、当時とおなじお店屋さんがあった。私は店に入り、おばあさんが一人店番をしていたので、戦争当時のことをいろいろ聞いた。「都会から小学生がたくさん避難していたことも覚えているよ」。昔話に花が咲き、やがて「さて」と私が腰をあげた時だ。おばあさんはおもむろに、小声で「実はね」と言う。「なんですか?」私が尋ねると「当時、お米は少ないとは言っても、トラックに俵を積んで、たまには来てたでしょ。大きな声では言えないけれど、実は、受け取ったお米を一部の先生方が横流しをしていたんだよ」。
 そう聞いた私は、義憤にかられ、「許せない。教育者たる者がなんだ」と思った。
 でも、いま思う。私もおなじ立場で、おなじ時におなじ境遇に立ったら、おなじことをしていたかも知れない。人間は、皆弱いし結局自分がいちばんかわいいから。戦争とは、ときに人間をケダモノにし、ときに人間を悪魔にするのだ。
 私たち子どもを言わば騙した先生は、そのあと、どれほど過去の自分の行いを思い出して、心がさいなまれたことだろう。人間は、人から騙されるより、人を騙したほうがもっと、実はいつまでも辛いものである。門前のお店で、おばあさんから当時の真相を聞いて、正義感から怒りにふるえたが、すぐ、私はその先生方を心の中で赦した。
 なぜなら、彼らの犯した罪、私たちのふだん犯しす罪の贖いのためにこそ、キリストは2千年前、この世に来られて、私たちの罪の身代わりとなって、父である神さまに、ご自分の命を十字架上でお捧げくださったからである。
 カトリック平和旬間にあたり、私のささやかな戦争体験を振り返ってみた。