トップ >  信者の方へ >  司祭のお話 > 

てくむ 2015年3月号

司祭のお話 てくむ 2015年3月号

ヨブと東日本大震災

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 3月になると4年前のあの忌まわしい出来事、東日本の大震災を思い出す。あの時大地震と津波で多くの犠牲者が出た。当時、それについて新聞TVなどの報道で多くの方々が自分の意見を述べていた。
 その中のひとつに、いまでも頭に焼き付いている言葉がある。「大津波で、このような悲惨な出来事になり、神がいないことがわかった。神が愛でないこともわかった。」
 私は大変驚いた。なんとこの人は、身の程をわきまえないことを、こうも簡単に言うのか。それが私の率直な感想だった。
 神さまは愛である。これは大原則だ。愛は、存在をうみだす。そこに神の特徴と力がある。だから創世記、世の初まりに、まだ世の中が混沌として真っ暗な時、神は「光あれ」と言われると、光ができた。「光あれ」という神さまの愛のこもったひと言で光ができたということは、存在を呼び起こしたということだ。一対の男女の愛のまじわりが、子どもという存在をうみだす、愛は存在をうみだすのである。
 一方、一滴の愛は全宇宙を溶かすことができる。一滴の愛は存在をうみだすと同時に、溶かすこともできる。それほど愛は貴重なものなのである。だから、全宇宙を創造された神さまが、万一愛であることをやめたらどうなるだろう。一瞬にして、すべての存在がこの世から消え去る。ちょうどガス風船に針をプツっと突き刺すとポーンとはじきとばされるように、無に帰してしまう。神さまが万一愛であることをやめたら、一瞬にしてこの世は無に帰するのである。
 神さまが愛であることにいささかも変わりはないのである。しかし、どのように神さまが愛であるかは、人間にはわからない。人間は小さく、理性に限界がある。したがって、神は愛だがどのようにして愛かは、人間には永遠に謎なのである。

 ヨブ記は旧約聖書のわずか42~3章しかない。それほど短い文章ながら、世界最大の文学とも評されるほどの内容を含んでいる。
 ヨブは大変信仰深い男でだった。行いも正しい人間だった。ある時、神さまは、サタンにむかって自慢げに言う。「おい、サタン、あのヨブを見ろ。実に人間としてりっぱだろう。謙虚で、行いも正しいし信仰も深い。」するとサタンは答える。「神さま、ちょっとお待ち下さい。ヨブが信仰深く、人間として正しいのは、彼はこの世でしあわせを存分に満喫してるからですよ」。
 現にヨブはたくさんの財産を持っていた。羊7千頭、ラクダ3千頭、牛5百頭、それほどの財産を彼は持っていた。それだけではなく、家庭的にも恵まれていた。十人の子どもに恵まれ、みなそれぞれ結婚して幸せな家庭を築いていた。そしてヨブは親思いの子どもの家の宴会に毎日招かれていた。非の打ちどころのないしあわせを、ヨブはこの世で味わっていた。
 そこでサタンは神に言う。「それらを一切ヨブから奪ってみなさい。あなたをきっとヨブは呪いますよ」。そこで神さまは、サタンの言うとおり、早速ヨブを試みる。
 大風をおこして親族一同の家をことごとく一軒残らずなぎ倒し、子どもたちは全員その倒れた家につぶされて死んでしまう。羊やラクダや牛など、たくさんの財産も、大風でみんな殺されてしまう。
 ヨブは全家族と全財産を失うだけではない。それから身体中に皮膚病が起こり、もう全身がかゆくてかゆくて、苦しみに転げ回る。
 でもヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落し、地にひれ伏して、神を賛美する。
 「わたしはかつて、裸で母の胎を出た。だから裸でまたそこへ帰ろう。主与え、主取り去り給う。主のみ名は誉むべきかな。」(ヨブ記1・21)
 このような悲惨な状況になっても、ヨブはあくまで神を非難することなく、口で神に罪を犯すことがなかった。
 私たちはとかく、なにかこの世でよいことがあった時、しあわせを体験した時、神さまを容易に賛美する。神さまに感謝を捧げる。しかし、いやなこと、つらいことがあるとすぐとかく神さまを忘れ、神さまに不平文句を言いがちである。
 ヨブ記の示すことは、人間幸いな時でも、不幸な時でも、心安らかな時も、苦しみや不幸に陥っても、そういうことに関係なく、神さまは神さまですよ。どんなに暑くても、いかに寒くても、大嵐がこようと、大津波に襲われようと、神さまは常に神さまである。故に神さまへの賛美と感謝を忘れてはいけない、ということだ。
 ヨブ記の本質は、礼拝とはなにかということを私たちに語り、教えるもの。毎日私たちは生活していて、うれしいこと、楽しいことがある。しかしそれ以上に、悲しいこと、つらいこと、気の滅入ってしまうことの方が多いのが、私たちの人生ではないだろうか。東日本大震災から4年目が近づいた。お互いに寒さに負けず、このヨブの言葉を私たちも日常の言葉としながら、神への感謝と賛美を続けてゆきたい。
 主与え、主取り去り給う、主のみ名は誉むべきかな。