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てくむ 2014年8月号

司祭のお話 てくむ 2014年9月号

畑の中の真珠

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 ちょっと前のことになるが、サッカーのワールドカップがブラジルで行われた。朝早くからの報道で、生活のリズムの狂ってしまった方もあるかも知れない。ともかくテレビなどでは大騒ぎだった。結局ドイツが優勝して、勝った国、ころっと負けた国、悲喜こもごもの結果だったようだ。
 ただ私はサッカーには関心がうすいので、正直なところ「え?なぜだろう」と思うこと、驚くことも多かった。例えばブラジルまで試合を見に、いわゆるサポーターたちが会社を休んで飛行機に乗って行き、現地で宿泊せず試合後すぐ飛行機に飛び乗って帰って来る。これは弾丸サポーターとか言うらしい。あるいは、顔中ペイントで塗りつぶして応援する。きっと当事者たちにとっては、それほどサッカーがおもしろいスポーツだからこそなのだろう。
 でも、もし私に同じ時間、同じ経済的余裕が与えられたら、彼らと同じことをやるかと自分に問うてみたら、もちろん、断然私はしない。なぜならファンには申し訳ないが、サッカーに私は個人的にそれほど興味や価値を見いだせないからだ。
 なぜそれでは見いだせないか。福音ではっきりとイエスさまは仰っている。

 「天の国はつぎのようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。天の国はつぎのようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13・44-46)

 なぜ真珠商人は良い真珠を見つけると、自分の持ち物をすっかり売り払って新しい真珠を買うのだろう。それは、商人がその真珠の価値を知ってしまったからだ。その真珠がすばらしい輝きを出すために充分に磨かれ、充分に手間をかけた光り輝きだ。だからそれほど価値ある真珠だから高価に転売できる。
 イエスさまは「天国は次のようにたとえられる」と仰って、この真珠の話をなさる。では、天国とはどういう所だろうか。  私たちは天国というとすぐ地獄を考える。天国はりっぱな行いをした人が、死後むくいとして与えられる素晴らしい世界。地獄は反対に、悪いことをさんざんしてきた、そのむくいとして、怖い、寒い、冷たい地獄が待っている、そう教えられてきたのではないだろうか。
 まず申したいのは、主イエスが天国と言う時は、死後行くべき別の世界ではない。
 天国とは、こういうことだ。いまあなたが生活し、生きているこの世界で、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストとの心の交わりが生まれているところでは、もう、その人はその場で天国に入っているのである。
 主イエスとの愛の絆が心の中ですでに結ばれているので、もう天国の状態だ。真の自由の世界、全き愛そのものの世界に、その方は入りかけている。そしてこの素晴らしさは、この世にはまたとない価値を持つ真珠に相当しますよ。それほど、天国に入る、神さまとの愛の交わりの関わりの中に生きるということは、とてつもなく素晴らしいものなのである。素晴らしいからこそ全てを投げうってでも獲得するにふさわしいのである。
 サッカーで日本が負けて多くのファンたちを残念がらせた。しかしサッカーというスポーツはどんなに楽しくても、その楽しみの深さはしょせん限りあるもの。天の国のすばらしさに比べたら、時とともに移り変わる相対的価値にしか過ぎない。どうか私たちも日常、この世の仮初めの価値に翻弄されることのないようにしたい。そしてお互いに、真の天国の神さまとの絆を大切にし、愛の交わりを日々深めながら歩んでいきたい。