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てくむ 2014年8月号

司祭のお話 てくむ 2014年8月号

使徒パウロ

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 先日身の回りの物を整理していたら、高校時代の卒業アルバムが出てきた。各クラス毎に全員が写っていて、最後のページには各人の寄せ書きがあった。学校生活の感想や、これからの人生訓として大事にしていきたい言葉が書かれていた。中に一つだけ、妙な言葉があった。

 「十字架の言葉は、滅びいく者には愚かだが、救いに与る私たちには、神の力である」(一コリント1・18)

 パウロの言葉だ。実はそれを書いたのは、私だった。高校二年~三年頃聖書に出会い、心とらえられ、特にパウロの勇ましさ、確信の深さ、自信、信仰における勇気、そういうものを読み取って、非常に感動して、この言葉こそ真実に違いないと思って書き残したわけである。  あれから60年。自分の心に問うてみて、この言葉はいささかも、私の中でいままで揺らぐことはなかった。感謝でいっぱいである。
 パウロがいかに私に深い影響を与えたかをお話したい。パウロは、生まれた時はサウロという名をつけられた。当初はユダヤ教の信徒として育ち、ちょうど年齢は主イエスと同じくらい、と推察される。小アジアのタルソに生まれ、ローマ市民権が与えられ、ギリシャ語に堪能だったようだ。律法に熱心なユダヤ教の中でも特にファリザイ派の一員として彼は成長していく。そしてその熱心さが高じて、キリスト教徒を迫害するようになる。なぜなら、いままでの大事な大事な律法をおろそかにするような教えをキリストが拡めていたという理由からである。そこで迫害の急先鋒の役割をサウロは担うことになる。
 そのサウロにある時、ダマスコという町の付近にキリスト信奉者が潜伏しているというニュースが飛び込んできた。そこでサウロは、「よし、ぜひ見つけて縄で縛り付け、エルサレムに連行して宗教裁判にかけよう!」。そのために大祭司の許可証をもらうために、ダマスコの町にむかっていた。そこで信じられない、劇的な事件が突如起こる。

 「サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(使徒言行録9・3-4)
 サウロはこの光を見、声を聞くと、目を開けても何も見えなくなり、三日間目が見えず、食べも飲みもできなかった。

 そして、
「ダマスコにアナニアという弟子がいた。アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウロ、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです』。すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した」(使徒言行録9・10、17-19)
 その後、サウロはどうしただろう?
 「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを述べ伝えた」
 これを聞いたユダヤ人たちは、
 「サウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた」
 この、サウロの劇的変化、あの悪名高きキリスト信奉者を迫害する者の頂点に立っていたサウロが、主イエスとの不思議な、劇的な出会いによって、あちらから呼びかけられ、一瞬にしてキリストに心がとらえられ、人が変わり、迫害者サウロでなくてここで名前がパウロに変わる。新しい使命を受けたからである。
 彼はすぐ、喜びいさんで仲間と共に、異国に出発する。復活したキリストを述べ伝えるためだ。アテネに行き、果てはローマにまで行き、やがてかくしてかの地で殉教する。
 あの時の、あの一瞬。それを思い起こしたい。迫害者サウロとして、ある町に赴く時、突然「サウロよ、サウロよ。なぜ私を迫害するのか」、との天からの声。この言葉から、この言葉がきっかけになって、キリストとの関わりが芽生え、あちらさんからあまりにも一方的な呼びかけ。
 そう、神の恵みとはつねに、同じである。あちらさんからの働きかけが第一だということだ。信仰とは、自分で考え、自分が努力し、自らの力で獲得するものでは決してない。
 「信じたい!」、という気持ちが私の心の中に起こるのも、あちらさんが常に先に、信じたいという心を、その信仰を注いで下さるからこそである。だからこそ信仰は、無償の恵みなのだ。
 あのアルバムから60年。時が過ぎ、世の中は移り変われど、私のキリストへの信仰はいささかも変わらず、揺らがず、そしてぶれもしなかった。これこそ神の恵み、神に感謝。キリストに賛美。