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てくむ 2014年7月号

司祭のお話 てくむ 2014年7月号

常磐ハワイアンセンターとザアカイ

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 私たち司祭には毎年秋に研修会がある。今回も二泊三日、色々の教区の司祭が集って、講話を聞いたり、現場を見学したりして神学的考察をした。
 昨秋の研修会は、東日本の全教区から百何十人かが集まって、福島原発近くのいわき市で行われた。原発の問題を神学的にいろいろ考察し、バスで第一原発や第二原発の側を通って、津波の無惨な爪痕も見て来た。
 さて、その研修会は一体どこで行われたかである。実は、ちょっといまは名前は変わっているが「常磐ハワイアンセンター」だ。そもそもここは昔、常磐炭坑があった。戦前は汽車でもなんでも、エネルギー源はみんなほとんど石炭だった。ところが戦後、政府はエネルギー政策を石炭から効率的な石油に変更した。従って炭坑は不要になり、鉱夫達は職を失う。現に、筑豊炭田、夕張炭田の町はさびれていった。ところが常磐炭坑の人たちは、「なんとかならないもんか」と、知恵をしぼり、奇想天外なことを思いつく。
 それは、ここで取れる石炭を燃やして温泉を沸かせばいい。そしてよそと同じにならないよう付加価値をつけよう。そこで炭坑に暮らす人々の娘さんたちにハワイアンのフラダンスを学ばせて、大劇場を作って踊ってもらえばいい。この奇想天外の考え、奇抜な決断。大反対もあった中、実行したら、大当たり。まさかの大繁盛。いまでも千葉や各地から無料バスが出ていて、連日何千人という人たちでいっぱいだそうだ。
 えらかったのは、その四十数年前の当時の人々は、政府のエネルギー政策の変更にめげなかったことだ。ふつうなら、前向きに取ることなどできず、「ああ、石炭はもうダメか」、とマイナス面ばかりに目がいき、政府に文句を言うだけでやがてあきらめて散って行くはずだ。ところが常磐ハワイアンセンターは、石炭はダメだという悲しい現実を逆手にとって、それを起爆剤として、町の発展につなげたのである。この発想の転換、勇気と見識は、やはりすごい。

 ザアカイは徴税人の頭(かしら)で、占領軍ローマの手先として徴税の役を担っていたため人々から疎んじられ、いわば孤独感を持って生きていた。ある時イエスさまがザアカイの町にやって来ると聞いたので、イエスさまを見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて主を見ることができなかった。そこで彼は頭を使う。イエスを見るために走って先回りし、いちじく桑の木に登った。するとそこにいらしたイエスさまは、上を見上げて言われた。
 「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)
 ザアカイはびっくりだ。初対面なのに、名前を呼ばれた。しかも、あちらさんが先に声をかけてくれた。しかも、「あなたの家に泊まりたい」。これはつまり、「おまえを一人の人間として認めるよ」ということだ。これは孤立感に悩むザアカイにとって、うれしいことだ。そしてイエスさまがザアカイの家に来て、おそらく夜おそくまで、食事をしながら語り合ったのではないだろうか。ザアカイは、変わってしまうのである。
 「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(ルカ19・8)
いままで、人からいかに奪うかばかりを考えていたザアカイが、自ら差し出す人間に変わった。これは、すばらしいことだ。
 私は特に、み言葉の「背が低かった」に注目したい。背の低さ高さは、本人にはどうしようもない現実だ。だからイエスさまが来て、遮られて見ることできなかったら、普通だったらあきらめて家に帰ってしまうはず。ところがザアカイは違った。
   背が低くて、主が見えない現実にめげずに、あきらめずにザアカイは考えた。そして発想の転換をした。先回りして、いちじく桑の木に登って、イエスさまを見よう。これは全く奇抜な考えだ。税吏頭の社会的プライドもあったはずなのに、おサルさんみたいに木に登る。すると、イエスさまの方から声をかけて下さった。こうしてザアカイは、よろこんで貧しいヒトに財産を差し出す人間にたちまち変わったのである。

 ザアカイも常磐ハワイアンセンターも、悲しい現実をきっかけに、大プラスに問題を変えて、解決を図った。
 私たちは日頃出会う事柄に、絶望の崖っぷちに立たされる時がある。なにもかも投げ出して、行方をくらましたいという思いにもかられる時すらあるのではないだろうか。しかしザアカイは背が低く行き場を失ったが、起き上がって知恵をしぼり、現実に希望をもって動いたために、イエスさまの救いに出会うことができた。
 私たちも常に希望を失わず、神さまのあたたかいまなざしの下に、出会うマイナスをプラスに変える知恵と勇気をもって歩んで行けますように。