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てくむ 2014年2月号

司祭のお話 てくむ 2014年2月号

失った財布

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 2013年一年間の出来事を振り返って、私にとっていちばん大きかったと思うのは、福島県の原発に行ったことだ。司祭の研修会で原発の問題を学び、討議するため、現地でいろいろ見学させて戴いた。非常に衝撃を受け、また学ぶ点も多かった。
 二つ目。それはごく小さな、数日前に起きたこと。でも、ひょっとしたら思い出に残る出来事かなと思う。
 それは実は、財布を落としてしまったということである。東京の信濃町でお話会を行い、普通はそのまま千葉に帰るのに、どうしても会いたい人がいて西麻布に行った。その帰り、時間がなくてタクシーを拾った。
 乗ってしばらくすると、運転手さんがバックミラーごしに私を見ながら、「お客さん、お仕事なんですか?」。初めてだ。タクシーで職業を聞かれるなんて。私は驚いて「なにか変わったことありますか」と聞くと、「サラリーマンにはないオーラが漂ってます」と言う。だから正直に、「カトリックの坊主です」と答えた。「ああ、キリストやってるんですか」。「はい、やってます」。かれこれ20分程で新橋に着き、電車に乗り継いで千葉に帰ってきた。
 さて、いつも通り、司祭館の奥で普段着に着替え、「あれ?」と気づいた。財布がない。カバンをひっくり返して、靴底まで見て、何度探してもない。これは完全に、どっかに落としたんだ。ご存知の通り財布には、毎日の生活の全てが含まれている。多くはないけれど、お金。自動車免許証、健康保険証、クレジットカード、クルマの鍵。一切合切が入っている。万一失ったら、再び自分の手にするための再発行の大変な手続き。エネルギーも必要だろう。途方にくれて、心臓もドッキンドッキン。「どうしたらいいんだろう?」。なぜあの時、あの人のところに行ったんだとか、あのコースで帰ってきたんだとか、いろいろと後悔の念で心が一杯になる。
 ふだん私は、人にこう言っている。「冷静に」「落ち着いて」「じっくり慌てずに」。そのくせ、こと自分のことになると、たちまち右往左往だ。心が暗雲たれ込めうちにハッと気づいて、すぐ近くにいた人に相談した。すると、「まず警察に行くべきだ」と言われた。そこで、彼と一緒に千葉中央警察署にクルマで行った。2階の婦人係官の所に通され、なくなった旨を伝えると、強い口調で言われた。「ここは千葉県警の管轄です。東京は警視庁です」。
 新橋駅の最寄りの警察を探して、そこに連絡するようにと言われ、問い合わせた結果、愛宕警察署が管轄と分かって、電話で手続きを終えた。それが夕方4時頃。でも、その日寝るまで一切警察署から音沙汰がなく、がっかりだった。
 翌朝も、朝から何本も、教会にはいろんな方から電話が入っても、愛宕警察からの電話は全くない。ところが、11時頃。電話を取ると、「こちらは赤坂警察署です。なにかそちらで紛失したものがありますか」と、聞いてきた。私は即座に「財布です!」。「何色ですか」、「黒です!」。「生年月日は?」、「何年何月何日です!」。こっちも疑われない様にすぐ答えなきゃいけない。「あなたの失ったモノがいま届いております」。思わず私はその場で「バンザーイ!」と3回、天井にむかって叫んだ。翌日午後、指定された東京の赤坂警察署まで取りに行った。係官から一つ一つ確かめるように聞かれ、答えると品物が返されてきた。すると更に、「ひと言、届け主から伝言が届いています」。「なんですか?」と聞くと、「じゃ、読み上げます」。
 「お礼は必要ありません。受け取ったという知らせも必要ありません。お幸せをお祈りします」
 ハーッ、グッときた。うれしい、すばらしい、と思った。
 いまのこの世の中。とかく生き馬の目を抜くような、殺伐とした事件や出来事に満ち満ちている。そんな中で、なにか一服の清涼剤を、なにかすごいものを私は感じたからだ。
 拾った物を届けた方の、見返りを求めない、愛。その便りに、その方の心のこまやかさ、相手を思うやさしさを心から感じたのである。
 ちょうどそれは、キリストの誕生の知らせを受けた、天で神さまに仕えている天使たちの、よろこびと平和に満ちた心に通じるものがある。2千年前、ユダヤで救い主としてお生まれになった神の御独子イエス・キリストの説く愛。それは相手からなんの報いを求めない、見返りを求めない、愛だ。それだけではない。人間の救いのために、尊い己の命をも、十字架の上でお捧げ下さった愛である。それは、この世のどんな海よりも広く、どんな海よりも深く、この世のどんな愛よりも高いものである。
 この神の愛を告げ知らせる始まりである、キリストの誕生。この無限に深い、キリストの愛と祝福と、お導きと支えが、みなさまとご家族の上にゆたかにありますように。