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てくむ 2013年9月号

司祭のお話 てくむ 2013年9月号

天の父とイギリス王子

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 最近ヨーロッパの英国で沸きに沸いているニュースがある。それは、王室に王子がうまれたこと。将来王位継承の可能性がある男の子の誕生である。
 英国のみなさんに「おめでとう!」と申したい。王子である赤ちゃんは、クリクリ頭のかわいい男の子で、名前はジョージ。すくすくと健康に恵まれ、成長されることを祈る。

 ところで、私はこの王子が、うまれた瞬間、沢山のものを失ったと気づいた。そう、それは自由と気楽さ。これから王子としていつもマスコミの目にさらされる。国民の目が常にその言動に注がれる。自分が選んだ運命じゃないのに、もう彼の人生は定められている。勝手気ままな自由を失った生活が、彼の前途に待っている。

 ここから一つの私たちの人生の原則を見いだす事ができる。すなわち、およそ人間は、「なにかを得れば、なにかを失う」という原則だ。私たちの人生は、一度ひとつを選んだなら、他のものは潔く断念しなければならない。「あれもこれも」は、所詮無理なのである。

 ある時、弟子のひとりがイエスさまに「私たちにも祈り方を教えて下さい」と願った。
 人間が動物と違う点。それは、祈る事ができるか否かだ。祈ることは、人間の本性に適っている。祈りこそ、人間の人間たる所以(ゆえん)である。
 弟子の願いに応えて、イエスが教えた祈り方が、「主の祈り」である。
   まず最初に「天におられる、私たちの父よ」。私たちの神さまが、父であることをハッキリと示された。これはとても大事だ。それまでは神は「万物を造られた神」。世の中のすべてのものを材料なくして存在あらしめた方。それが神であって、それまで父であることはよく分からなかった。

 私たちの神は創造主、しかし、我々を創りっぱなしであとは知らん顔の、冷たい神ではない。創造主であり、同時に父である。私たちが愛情をこめて「天のパパ!」、そう呼びうる方であり、私たちに関わってくださる神。陰で動いて助けて下さる神。「父よ!」と愛情と信頼をこめて祈る対象であることを、主イエスは初めてお示し下さった。
 そして「み名が聖とされますように」。昔、神はあまりにも尊い存在なので、「神」と言うのはおこがましい。だから「あなたは神を信じますか?」という言い方ではなく、「あなたは御名を信じますか?」。そう言って、畏(おそ)れ尊んでいた。その神の存在が聖とされますように。
 「み名が聖とされますように」。どうかあなたの存在が、私たちの日常生活において、特別な位置にいつもありますように。元来祈りとは、自分の考えがまず中心にあって、その思いが実現しますようにではない。祈りとは、私たちが神の考えを聞く行為である。神さまに信頼し、そしてすべてを父である神にゆだねること。それこそが、大事なのである。父なる神こそ、私の人生で特別第一の地位であることをいつも示すことができますように。

 イギリスに新しい王子が誕生した。私たちの人生は、何かを得れば、必ず何かを失う。その原則に、新しい王子は、すでにすっぽりと定められた運命の中に踏み込んでいる。新しい王子も私たちも、共通点がある。それはしょせんみんな、人祖アダムの子孫のひとりにすぎない。だからそのことを心にとめ、いつも天の父なる神を仰ぎ、父なる神さまこそ生活の中心にすえ、これからも日々歩んでいって戴きたい。