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てくむ 2013年5月号

司祭のお話 てくむ 2013年5月号

最初の聖人

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 新しい教皇が選ばれ、就任された。教皇さまの名前は「フランシスコ」。お名前の由来の聖フランシスコは、いまから約8百年前、日本でいう鎌倉時代にイタリアのアッシジにうまれた。裕福な家庭に育ち、若い時には放浪したり、海外との戦争に行って1年間捕虜生活の苦しみを味わうなどして、その後改心した。そして福音を伝える巡回説教師としてアッシジの町で活躍し、いま世界で最大の修道会“フランシスコ会”を設立された。聖人は貧しさを特に愛していた。新しい教皇さまが聖霊に導かれ、勇気をもって良き方向に教会を導いて下さるように、共にお祈りしたい。

 ところで、私たちは洗礼を受けたとき、保護の聖人のお名前を各々戴いている。では、どういう方が聖人になるのだろう? 信仰深く、我々の模範と仰ぐべき方。そしていま確実に天国にいた、と教会が宣言した人、これが聖人だ。しばしば教会の一年の典礼暦にお祝い日の名前が入れられる聖人も多い。
 しかし、そういう表に現れた聖人たちと同時に教会では一般に「隠れた聖人」という言葉がある。それは聖フランシスコのように有名な、誰からも記憶されてるような方ではなく、陰で深い、謙虚な、行いの立派な信仰生活を送ったことで、信者たちが勝手に「あの人は隠れた聖人ね」という言い方をする伝統がある。
 教会にはこのように無数の聖人がいるが、では一体「最初の聖人」は誰か、おわかりだろうか。聖人伝にも、典礼暦にも載ってない、最初の聖人は、イエスさまのご受難の時のこと。
 十字架にかけられて私たちの罪の贖(あがな)いのために命を捧げられた時、両脇に一人づつ、十字架にかけられている元盗賊たちがいた。
 「人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」
 そのとき、イエスは言われた。
 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
 すると、もう一人の方がたしなめた。
 「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23・33-43)
 このイエスさまのたったひと言。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」で、盗賊は聖人となる権利を獲得したのである。教会が「楽園(天国)にいる」と宣言したのではない。イエスさまご自身が自らの口で、保証なさった。死刑になるほどの悪い事をしていながら、イエスさまをかばったために、その信頼に応え、この盗賊は天国が保証されたのである。
 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」
 この何気ない信仰告白には、実に偉大な事実が含まれている。あの十字架上での、あの盗賊の信仰告白は、根本的に他の弟子たちのそれとは違う。十字架上のイエスは、みなから見捨てられ、屈辱と敗北、逆境と困惑のただ中の姿にも関わらず、『神の子である』と、この盗賊は見抜いていた。
 いまの世の中、とかく神の存在が軽くあしらわれ、キリストの価値も、キリストの十字架の意味も無視され、否定される風潮にある。その中にあって、私たちもどのような時にも、どのような場所でも、『イエスは神の子です』と、大胆に宣言できる、勇気ある信仰をお互いにもっていきたい。