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てくむ 2012年12月号

司祭のお話 てくむ 2012年12月号

買った電動自転車

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 大震災以来、帰宅難民が出て最近は会社とか学校に自転車で通う人がブームになっているそうだ。自転車はガソリンが不要、身体にもよい、どこへでもこいで行ける、という長所がある。ところがちょっと考えると自転車にも弱点はある。平坦な地を行く時はあたりまえにスイスイ行くけれども、坂道に来た時は、息を切らせ、喘ぎながら登ることだ。
 そこで私は人に勧められて、三日前ある自転車を入手した。試しに乗ってみると、不思議。坂道でもスイスイ、普通にこぐだけで登ってしまう。この自転車こそ、電動自転車だ。家で充電しておいて、坂道に来たら手動から電動にスイッチを切り替えればいい。すると、どんな坂道も普通にこぐだけでドンドン登って行ける。画期的な、ありがたい、乗り物である。
 この電動自転車に乗って、これは私たちの日頃の信仰生活に関係ある事実を言っている、と思った。私たちは人生街道を毎日走っていて、時々とんでもない、想定外の急な坂道にぶつかる時がある。その時、ハアハアと息を切らせ、自分の力だけで登ると大変な力仕事になる。エネルギーのロスにもなる。急な坂道に来たら、その時、手元のスイッチをすばやく切り替える。つまり、自分の力のみに頼りがちな私たちの心のスイッチを、神への信頼というスイッチに切り替えるのである。するとスイスイと、その坂道を登って行く事ができる。

 先日70歳近い長年知り合いのMさんが手術をしたのでお見舞いに行った。彼は長年、神さまの存在に全く無関心だった。ところが3年前急に「教会に行きたい」と電話があった。「まさか!」と私は驚きながら、近くの教会を紹介し、そこで彼は熱心に一年間教会に通いながら聖書の勉強をして、洗礼を受けた。幸いなことに、教会でよい信仰の友にめぐりあい、まわりの信者さんたちにも支えられて、祈りの集いにも参加するようになった。そしてお恵みにより、いつの間にか深い神さまへの信仰を、毎日の平凡な生活の中で持つようになった。そしてやがて、神さまを信じた者のみが漂わす、穏やかな表情を表すようになったそうである。いままでないことだった。
 その彼がこの度、肝臓の手術だ。ところが手術の直前も、死の恐怖を全く感じることなく、「教会の友だちが祈ってくれてるから嬉しい」。そう言って、手術室に入って行った。そして無事、手術を終えた。彼は信仰生活は決してまだ長くはないが、彼の心のスイッチが、いつの間にか切り替わったのだ。いままでは自分の力のみにより頼み、自分の力だけをあてにする心が、スイッチが切り替わって、神への信頼というスイッチに変わった。そのおかげで、肝臓手術という人生の急な坂道に出会っても、それを乗り越えスイスイと電動自転車よろしく、この難関を神への信頼というスイッチをひねって、乗り越えて行ったのだ。
 世の中にはたくさんの宗教がある。その中には一般に<ご利益宗教>とよばれる、「いくらお賽銭をあげれば、こういう功徳ご利益がある」と宣伝する宗教がある。その意味では、キリスト教は決してご利益宗教ではない。
 しかし、真のご利益を、全く思いがけないご利益をもたらしてくれるのは、私たちの教えではないだろうか。お金の取引の関係ではない。ただ、あの方への信頼のみで十分、そういう真のご利益である。

 主イエスはある時弟子たちに、世の終わりについて仰った。  「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(マルコ13・24-27)

 主イエスは、世の終わりの近いこと、世の終わりの光景を浮かびあがらせて、私たちに気を引き締めなさい。そう、述べているのである。
 しかしこれは、私たちにいたずらに世の終わりの恐怖を呼び起こすためではない言葉である。世の終わりは、主が仰ったとおり、確かにやってくる。しかしその時は、実はキリストの決定的勝利の時であり、その勝利の決定的な時への信頼に私たちを招く、み言葉なのである。
 どうか、日頃どのような困難な急坂に、急に巡り会っても、それにたじろぎ、ヘナヘナとへたりこんでしまうのでなく、自分の弱さ、自分の小ささを自覚しつつ、神さまへの信頼を心から強く持ってお互いに進んで行きたい。