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てくむ 2012年11月号

司祭のお話 てくむ 2012年11月号

福音は「前例がなくてもやること」

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 教会や幼稚園の仕事のほか、時々千葉刑務所に受刑者のために行っている。刑務所は、法律によって運営されている。法律で治まらない点は刑務所規則で補充され、それでも治まらない事例は刑務所長の判断となる。例えば、ある人が「洗礼を受けたい」と申し出た場合は、刑務所長が判断する。すると所長は、前例の有無で判断する場合が多い。前の判断を踏襲しておけば安全、ということだろう。よく言われる役所の「ことなかれ主義」で、残念ながらそういう意味では後ろ向き、と言えるだろう。
 一般社会の経済活動の世界で、「前例がないからやらない」などと言っていたら、他社に追い抜かれてしまう。そして会社はやがて業績が悪くなり、倒産という可能性もある。だから逆に経済界では、「前例がないからこそやる」。そういう精神が大事だろう。
 最近、アサヒビールの元会長の樋口廣太郎さんの葬儀ミサが東京・イグナチオ教会で行われ、私も参加した。樋口さんは京都の学生時代に洗礼を受けて以来のカトリック信者で、 経済界でも政界でも多岐に渡って力を発揮されたが、数年前病に倒れて、このたび神の下に召された。
 そもそも約25年前。業績がとても悪かった当時のアサヒビールに業績回復のため、銀行から送り込まれたのが樋口さんだった。彼は、いままでのビールの味と製造方法を変えて、辛口のビールを売り出そうとした。ところが取締り役員会で、全員反対にあう。そんな作り方の、そんな味のビールが売れるはずない、と。最後は社長の決断で、彼は直感を信じて新しいビールに賭けた。何百億という大金を投資して大きな工場を幾つも建て、新しい味のビールを全国一斉に売り出した。それが大当たりで、売れに売れ、いままで夕日ビールとも言われていたアサヒビールが、たちまち業界首位になった。このビールこそ、”スーパードライ”である。
 私は20年前ある所で樋口さんと出会い、17年前に麻布教会から木更津教会に転任する際、それを知った樋口さんがご夫妻でお別れの夕食に招待して下さった。アサヒビール本社10階にあるレストランはフランス料理の店だった。そこでメニューが出され、「なにを食べたいか」と問われるので、冗談半分本音半分で私は「寿司」と言った。フランス料理店で、失礼な発言だ。でも、なぜか思わずその言葉が出てしまった。
 すると、10分後になんと、出前の寿司が、近所の寿司屋さんから届けられた。正直、私の感想は、「あんなに冗談のつもりで言ったのに、そこまでして下さるか」。そこまで私の意思を尊重してくれるか。相手へのもてなしの心、相手の望みにそれまでして沿おうとしたことに、大変私は驚いた。彼は言わなかった。「ここはフランス料理店です。前例がないからだめです」。考え方が柔軟なのである。

 ある時弟子たちがイエスに言った。
 「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9・38 - 40)
 ここだ。「 私たちに逆らわない者は、私たちに味方なのである」。私たちは自分と意見があわない人や、自分の気に入らないものを目の当たりにすると、すぐ「だめ」「禁止」の言葉を言い、相手の望みをすなおに受け入れることに欠けがちだ。
 イエスさまの異なる立場の者を積極的に受け止める包容力、積極的に受け入れる柔軟性はすばらしい。
 刑務所、それは「前例がないからだめ」で動きがちだ。一方樋口さんは、前例がなくても動く。その両者の違いはどこから来ているのだろう? それは結局、他者への愛。この違いから来ている。
 私たちはとかく一つのことに盲目的にこだわりがちだ。イエスさまのように広い心、柔軟な心、包容力をお互いに一層身につけたい。