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てくむ 2012年8月号

司祭のお話 てくむ 2012年8月号

ペルソナとご復活

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 秋田県の熊牧場から6頭のヒグマが逃げ出して、二人の女性を殺し、射殺される悲惨な事件があった。その事実を伝える新聞に、残った熊たちが反省会を開き、責任を取るためにボスの熊が辞任した、というニュースは載っていなかった。
 なぜ? そう、動物と人間は同じ生き物でありながら、根本的に違うからだ。それを聖書はハッキリと指摘する。創世記1章で「光あれ」と言われて光を創られた神は、段々と世の中のすべてをお創りになり、最後に人間をお創りになった。

 「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1・27)

 人間は神によって、神さまに似せて創られた存在だ。その神に似たことを教会では伝統的に、ラテン語で「ペルソナ」という表現を用いている。
 では、ペルソナとか人格、あるいは神の似姿と言われる物の働きは具体的に一体なにか? それは、自分で考え、自分で判断し、そして自分で責任をとること。これは「人格の三点セット」と言われる。だから神の似姿を持っていない動物は、良いことか悪いことか、道徳的判断はできない。
 「これは損だけれど、良いことだから行う」という判断を下せるのは、ペルソナ、人格を持った人間だけだ。ペルソナを持つ人間は、ある驚くべき体験によって、人間性が変化する場合が多い。目が開かれたり、見方が変わるのである。
 例えば、この度の東日本大震災の被災者たちの体験だ。自分の目の前で、一瞬の内にわが家が、愛する家族が、津波で流されて死んでしまった。その強烈な体験によって、人間は変わる。と同時に、毎日の平凡のありがたさを、被災された方々は共通して体験したのではないだろうか。

 主の十字架の出来事の際、弟子たちはみんな己の命惜しさに、主を捨てて逃げた。ところがその卑怯な彼らが、ある一瞬を境にしてペルソナが、微妙に変化する。それは、主の復活である。復活した主に出会った瞬間から、彼らは一人も例外なく、死を恐れぬ、勇気ある人間になっていった。そしていかなる迫害をも顧みず、福音宣教のために、弟子たちは世界に散って行き、ほとんどみな殉教した。

 「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」(ルカ24・36)

 たった数日前、十字架上で亡くなったイエスが、十字架以前からずっと続いている弟子たちの集いの中に、復活して、まさに真ん中にお立ち下さった。そして「あなたたちに平和があるように」と仰った。人々への宣教の基(もとい)。それはなによりも主の平和を、心の中にもたらされることなのである。
 イエスは続けて仰った。「ここに何か食べ物があるか」。これから始まる神の国の宣教にあたり、復活した主は弟子と共に魚を食べられた。つまりこれは、暗にミサを指し示す。共にする食事とは、真の共同体の回復のシンボルだ。
 動物と違う人間は、神の似姿である人格、ペルソナを持つ。その人格の働きの3点セット。自ら考え、自ら判断し、自ら責任をとること。
 競争社会で、にぶりがちなそれらのペルソナの働きが、どうか復活されたキリストへの信仰によって強められますように。また、物事に容易に感動できない無機質な人間になりがちな、私たちの常日頃の行動が、本来の人間としてのぬくもりと、勇気と、そしてよろこびをもって、主の復活を生活全体で伝えていく者になりますように。