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てくむ 2012年2月号

司祭のお話 てくむ 2012年2月号

タコ壺文化と信仰

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 新しい年を迎えた。私は神父になってからお正月とはおさらば。家庭がないので、朝からラーメン。これが一番手っとり早いからだ。但し、私には一年中欠かさない食べ物がある。実はタコが好物なのである。
 ところでタコは、「タコ壺漁法」でとる。30センチぐらいの素焼きの壺に小さな穴があり、タコは習性で、せまく暗い、奥深いところに住みたい。その習性を利用して、漁師たちは夕方たくさんの壷をひもで吊るして海底におろす。そして翌朝早く今度は引き上げる。ある思想家が、こういうことを言った。
 「日本人は、タコ壺文化が好きだ」
 自分の専門分野に入っていれば安心。首を出して外を見て、比較をしない。なぜ? おそらくその一つの理由は、心騒がせるだけだからだろう。日本人は自分の壷に入って、自分のすべきことをしていればいい。日米戦争で日本を敗戦に導いたのは、軍部がそういうタコ壺文化だったからだという。つまり当時の軍部は、他国と国力の差を比較もしない。どうせ神風が吹くから自分たちは勝つ。思いこんだらどこまでも。タコ壺だから、そうなる。人間はみんな本質的にエゴイストで、自己中心主義者だ。だから、タコ壺に入っていれば安心、他人には無関心という誘惑にかられてしまうのが人間である。

 このことは、実は信仰についても言える。教会に来て、ご聖体を戴いて、もうそれで事足りる。あるいは自分の教会のことで頭が一杯。ほかの世界でどのようなことが起こっているか無関心。自分の教会というタコ壺に陥ってしまっている。あるいは、自分の信仰というタコ壺に陥ってしまっている。つまり、エゴイスティックな信仰、自己中心的な信仰ということが、世の中あり得るということである。
 幸い、私たちの教会ではホームレスの方々のために月に何回か、たくさんの方が来て、夕食のカレーライス等の給食の支援をしている。とてもすばらしいことだ。あるいは東日本の大震災で、被災地で困ってる方々のためにたくさんの方々がその支援のために動いている。あるいは失業者の方々のためへの支援とか、いろいろタコ壺から脱却しようという人たちが多く見られるのはうれしい。

 イエスさまがお生まれになった時に、地元ユダヤではなく、遠い東方の国で星占いの学者たちが異様な星の動きを見た。すぐ調べて、救い主が誕生した印とわかり、星に導かれてはるばるベツレヘムまでやって来た。そして彼らは幼子イエスに出会い、イエスを拝んだ。その出来事をお祝いするのが、ご公現のお祝い日だ。特にヨーロッパでは、クリスマスという祝い日は1月6日まで続き、このご公現のお祝い日をもってすべてのクリスマスの飾り物が取り去られる。

 さて本来ならば、おうまれになった救い主に出会ってよいはずの人は、地元の宗教家のはずだ。すなわち、祭司長であり律法学者だ。彼らは聖書をいつも正しく理解しようとしている。そしてその結果、救い主の誕生の地まで知り抜いていた。彼らこそ、イエスの誕生に初めに出会っていてよいはずだ。ところが、現実はできなかった。その理由は、彼らの聖書の解釈は、自らの枠(わく)に閉じこもっていたからだ。つまりユダヤ人のためにのみ、救い主がうまれる。他の異邦人、他の外国人は、救いからもれている。救い主が来たならば、それはあくまでもユダヤ人のためだという考えに閉じこもっていた。外に目が向いていなかった。これがユダヤ教の聖書の伝統的な解釈だ。

 ところが、生まれた幼子イエスを礼拝できたのは東方の国の占星術の人たちだった。この「東方の国」は、「異邦人の国」のシンボルだ。異邦人に最初にイエスさまが会われたということに、重大な意味がある。すなわち救い主は、全世界の人のためであったのだ。福音とは、タコ壺文化を打破すること。民族の枠を越えて、救い主はすべての人のために、すべてになったということを示している。
 いよいよ今年は、私たちの千葉中央宣教協力体(茂原、千葉寺、東金、西千葉)が、新しい地での教会のあり方を模索し、そして大司教さまのメッセージに沿って、私たちがこの地で福音宣教するにあたっての幕開けとなる。東方の国の占星術の人々が、星に導かれ、イエスさまに出会った。今度はイエスさまが希望の星となって、私たち4つの教会を導いて下さいますように。みなさまのお祈りをよろしくお願いしたい。