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てくむ 2011年10月号

司祭のお話 てくむ 2011年10月号

被災地の教会をまわって

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 東日本大震災からはや半年になる。いま日本の多くの教会で、被災された方々を支援する輪がひろがっている。西千葉教会も秋のバザーで、大震災に遭われた方々を支援する企画を立てている。みなさまのご協力をお願いしたい。
 ところで、被災された方々の望みと私たちの支援の内容が合致していなければ、かえって先方の迷惑になるし支援もムダになる。そこで現地では一体なにを望んでいるのか? 実情を知るために教会の方々数名と共に、先日クルマで被災地へ行ってきた。
 初日はまず仙台市のカテドラル、司教様のいらっしゃる元寺小路教会に一直線に向かった。ここは「サポートセンター」になっていて、一人のシスターから被災状況の説明を受けた。それから自分たちの目で見るために隣り町の塩竈に行き、そこにも開設されているサポートセンターのブラザーの運転で、現地の被災状況を見てまわった。
 圧巻は、石巻だった。日和山から眼下に被災した全市内を見降ろした。ともかく、すべてやられて、見渡す限りズーッと何もない。これはもう写真ではとても想像できない、圧倒的な津波の力を感じさせられた。家一軒ない中に、ポツッポツッとコンクリートの建物がある。しかしそれも「ああ、あそこまで」と驚く高さまで窓ガラスがなくなっていた。
 あくる日は女川に行った。ここがまた非常に被害を受けた所で、大きな船がひっくり返っていたり、コンクリートの建物が倒れて、しかもその杭がむき出しに突き出ている光景は、あの大きなビルすら津波が押し倒してしまう、その力に圧倒された。
 そして東北道にのって福島県にもどり、南相馬市の原町教会に行った。原町教会は、原発から半径30キロ圏内にある。青森、岩手、宮城、福島の4つの県から成り立つ仙台教区内には沢山の教会があって、しかし大抵高所にあったので、幸いにも御聖堂で全壊したところはない。その中で最大の被害が出たのが、ここ原町教会だ。
 御聖堂の高い塔は落下して、司祭館の窓も壁も全て落ちていた。御聖堂の中も同じような状況で、御ミサができない。この教会の信者の方は日曜日平均8人と、少ない教会だ。大きな敷地内に隣接して幼稚園があるが、いまほとんどの子どもが家族ごと県外に避難していて、いつ再開できるかわからない状態だ。 
 子どもも、若者の姿も見えない、高齢者が10人未満の教会の修理に数千万円かかる。原発事故もいつ収束するかわからない。 世の中の会社経営のような効率性や合理性の観点からすれば、同じ場での再建は考えにくい。私たちが行った時、4人の高齢の信者さんが出てきて応対して下さった。
 仙台教区の平賀司教様は、この教会の現実を見てこう仰った。
 「よし、直す」
 この教会はいつまでも存続決定と宣言なさった。信者の方々にとり、大きな喜びだ。自分たちの御聖堂が、ここに残される。自分たちの信仰を持ち続けることができる。神さまを賛美する場所が、ここにあり続ける。その一人一人の涙を流さんばかりの喜びの表情を見て、私はアブラハムを思い出した。
 ある時、一羊飼いのアブラハムに、神さまの言葉が望む。
 「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい」(創世記12・1)
 この時、アブラハムは75歳だった。いまどき75歳といったら年金生活だ。のんびりしたい。ところがアブラハムは、神さまからのこの突然の、一方的な大きな使命を受け入れる。
 「アブラハムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発した」(創世記12・5)
 アブラハムは、先が見えたから出発したのではない。ただ神さまに言われたから、ひたすら神さまにすなおに従った。将来の保証が見通せたから出発したわけではない。ただ神さまの「行きなさい」の言葉に、自分を懸けたのである。ここが、アブラハムが「信仰の模範者」と、言われるゆえんだ。
 大地震で壊れた原町教会。信者数はわずか10人足らず。高齢者ばかりで、子どもも若者もいない町の様子。将来はハッキリ見えない。しかし、ここに、キリストの福音を述べ伝える教会という建物を、どんな犠牲を払ってでもいつまでもここに残す。その司教様の決定に喜んだあの信者の方々。それぞれの表情に神さまへの信仰に奮い立つ思いを感ずることができた。
 キリストの弟子も最初はわずか12人。そしていまや世界に多数のキリストに従う方々がいる。仙台の司教様の結論を聞いて、「信仰とは一体なにか」「神への信頼とはなにか」。改めて思わされた次第である。