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てくむ 2011年2月号

司祭のお話 てくむ 2011年2月号

「言葉は精神の脈拍」

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 いつだか朝のテレビのトップニュースに、不用意な発言をした法務大臣の問責決議案の問題が報じられていた。
言葉。これは、人間が人と人との関わりの中で生きて行くために、自分の意思を相手に伝える大切な手段である。忙しくてイライラしている時は、つい言葉もつっけんどんになる。反対に、相手の言葉にやさしさを感じた時、こちらの言葉もやさしくなる。なぜだろう?そう、言葉は精神の脈拍だからだ。
 よく「あれはつい迂闊にでた言葉なので、本心ではない」と、人は失言を弁解するが、あれは違う。迂闊に出たからこそ本心なのだ。普段思っているから、口に出ただけなのである。
 聖書では「言葉」は極めて大事だ。日本語で「言葉」は「言の葉」と書くが、聖書の場合は「言」。この一文字で「ことば」と読ませる箇所がある。それは
 「初めに言(ことば)ありき。言(ことば)は神と共にありき」(ヨハネ1・1)
 この「言」(ロゴス)とは、イエス・キリストを指す。つまり「初めにイエス・キリストありき。イエス・キリストは神と共にありき」という意味だ。
 つい発してしまうような言葉は、聖書ではしばしば「舌」と言い表す。人間の舌の現実を「舌は火である、不義の世界である」、また「舌を制し得る人は一人もいない」(ヤコブ3)と表現する。邪な舌から出てくるのは「偽り、欺瞞、偽善、悪口、中傷」。そして「舌は蛇、鋭い刃物、剣、相手を殺す矢」。アダムとイブの罪以来、人間は罪を背負って生まれて来る存在になった。その罪深い人間の明らかな印。それは、人間は己の舌をコントロールすることは難しいということだ。
 主イエスは私たちの罪の贖いのため、かつて十字架の上で命をお捧げくださった。中央にはご自身、そして左右には重い罪を犯した犯罪人がいた。両側の犯罪人は真ん中にいるイエスを見てののしる。
 「おまえはメシアじゃないか、自分自身と我々を救ってみろ」
 自分たちも苦しみの最中にありながら、主を侮辱する。すると、一人の犯罪人が途中から人が変わって、反対側の犯罪人をたしなめ始める。
 「おまえは神を恐れないのか。我々は自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない」
 イエスさまをかばったこの男は更に続ける。
 「イエスよ、あなたが御国においでになる時に、わたしを思い出してください」
 十字架の上で苦しみながら、イエスをかばう心と、イエスへの信頼の心。これはあっぱれだ。すると主は、それに答えて仰った。
 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)
この二人の犯罪人は、いままで散々悪いことをしてきたからこそ死刑になりつつある。しかも十字架に掛けられながらも、最初は二人ともイエスさまをののしった。しかし最後の最後の土壇場で、一人の方が主イエスをかばうようになる。そして心の底からの信頼をイエスへよせたからこそ、彼は天国への保証を得た。たった一つの言葉が、天国という永遠の幸せを獲得させたのである。
 この犯罪人は、もう一人の犯罪人と共に、主イエスをののしっていた。しかし十字架に掛けられた主イエスを見るうちに、彼は変えられた。人間が変わったのだ。一瞬にして根底から、十字架上の主イエスがこの男を変えたのである。
 そして彼の舌は、今まではののしりを浴びせる悪の舌であったのが、いつの間にか純銀となって、口から賛美の言葉がほとばしり出るようになった。
 私たちが日常発する一つ一つの言葉が、人を傷つけるのではなく、人を赦し、人を励まし、人を癒す言葉が発せられますように。
 とてもすばらしい歌があるので、ご紹介しよう。題は、「あなたの人生」。
「あなたの思いに、気をつけなさい。
        さもないと言葉になるからだ。
 あなたの言葉に、気をつけなさい。
        さもないと行いになるからだ。
 あなたの行いに、気をつけなさい。
         さもないと癖になるからだ。
 あなたの癖に、気をつけなさい。
        さもないと人格になるからだ。
  あなたの人格に、気をつけなさい。
         あなたの運命になるからだ…」
(読み人知らず)